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毛野臣送還後の任那について 十三

 沙也香はここまで静かに聞いていたが言った。「田村センセの訳を黙って聞いていると、ああだ、こうだ言って百済と新羅が任那を侵略して行く様子が伝わってきますね。ここで日本国は百済の任那侵略に牽制球を投げているわけなんですね」

「そうなんだ。君の美しい澄んだ瞳がじっと僕を見つめるのにはげまされ、祐司君を嫉妬しながらも頑張ったので、沙也香君にも解る良い結果が出てるようだね。実は書紀の欽明天皇期は僕にだって難解で退屈な条なんだけど、こうして現代文に置き換えてみると、任那が新羅と百済の謀略によって、じり貧になって行くことが浮き彫りになっているね・・・僕は思うのだがね、こういう構図が描けそうだと。・・・任那はほとんど、磐井王の倭国そのものであるような親戚の国だった。そういう状況のところで倭国は日本国に打ち負かされてしまった。それが磐井の反乱だね。さて、九州を支配した日本国の洋上には倭国の力によって保たれてきた小国ながら独立を維持している任那諸国と他国を侵略して強大になろうとする百済と新羅があった。このような力関係の時、もし君たちがだよ日本国王だったらどうするかな?日本国には倭国が弱くなったのは倭国が任那の独立を維持するために膨大な費用を使ったからなのだと言うことがわかっていた。だから日本国の基本的立場は非植民地主義なのだ。強大になって行く新羅に百済と任那を対立させて新羅の力をそぐ、こういう姿勢なんだと思う。日本国としては任那の権益はできれば守りたいが

しかしそれも、財政負担が少ないという条件つきなんだね。書紀の欽明紀は、百済、任那、新羅の記事が長々と続いてて、まるで、韓国史のようなんだが、ここにはなんらかの書紀編纂者の意図が隠されていると視るのは考えすぎだろうかな。任那にこだわっているのは日本国ではなく書紀執筆者なのではないかな?

これで思いつくことは、古事記に膨大な量の出雲の記事があるのは、古事記の原典が出雲王朝の作成だったからなんだと思うように、書紀の原典が倭国王朝によって作成されたことによるのかもしれないね。倭国の故郷と言うべき任那への思いが書紀原典に記されていたというところかな。」

 祐司が言った。「なにかと書紀は不思議な書ですね。欽明天皇在位三十二年のほとんどが任那関連の記事で、しかも在位最後のころは記事がスカスカなんですからね。何故なんでしょうね?」

「フム。その答えらしきものは僕が訳を進めて行くうちにきっと出るよ!」

「エ!本当ですか?」

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