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毛野臣送還後の任那について 九

「私(百済王)は深く悔やみ反省して、下部かほう(百済国を五部に分けたその一)の中佐平しそさへい(百済官位十六階の一位である佐平六人の四番位)らを遣わして、加羅(ここでは任那の意味)に行かせ日本府に集まって結束を盟約した。それより後は思いをかけることを続け任那再建に朝夕に忘れる事はなかった。いま、天皇より『速やかに任那をたてるぞ』という決意の言葉が送られた。これによって私は汝らと任那を再建したいと思う。良く計画をたてるべきだ。また任那と新羅の国境に新羅を呼び出して、任那復興を了承するかどうかを問いただそう。そうして百済・任那は一緒に使いを日本に遣わして天皇に新羅の返事を奏上し、謹んで対策を教えていただくことにしましよう。もし、遣いの戻らぬうちに、新羅が隙を狙って任那を犯すのであるならば私(百済王)自身が出陣して、任那を助けるので、心配することはない。しかし、それに安心して警戒を薄れさせてはならぬ。


 以前汝らは言った。卓淳らが新羅に滅ぼされた災難がいずれ自分たちにも及ぶであろうと。だがそうではない。新羅自身が強いのではなく、かの㖨己呑とくこどんは加羅と新羅の境にあって毎年ひんぱんに攻め込まれてれていた。これには任那も十分に救い助ける事ができなかった。それでついには滅ぼされてしまったのだ。かの南加羅ありひしから(金冠加羅)は小さく狭く、装備も少なく、頼るべき相手を作る方策も知らなかった。かの卓淳たくじゅんは王と臣下の心が離れ、王は自ら新羅の傘に入ったが臣下はこれに従わず滅ぼされた。これによってみれば三国が破られるのには理由があったのだ。 その昔、新羅は高句麗に助けを乞うて、任那と百済を撃ったことがあるが、それでもなお勝つことができなかったのだ。だから今においても、新羅は独力で任那を滅ぼすことはできはしない。今、私と汝らが力を合わせて、天皇の霊威にたよれば任那は必ず再興するだろう。」

 そしてそれぞれに物を贈ったので、みな喜んで帰った。

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