毛野臣送還後の任那について 四
三人は、風呂から上がってきた。そろって浴衣姿だ。窓際のソファに三人は座った。冷蔵庫の瓶ビールを一本あけて、プハーなどと言いながら飲み干した。三人は笑顔になっている。田沼は手帳を取り出してきた。
「さて、本題に入るか。磐井が亡くなり。任那が動揺する。この対策のために毛野臣が韓国に派遣される。しかし、毛野臣は政治の経験が乏しく、三韓の王とうち解けず、任那再生の試みは失敗に終わり、帰国の途中、日本海のただなか対馬で客死する。・・・毛野は書紀の文から読み取る限りでは、強制送還であったようだから、僕はこの死は殺害であった可能性があると思うのだがどうだろう」
祐司は言った。「そうですね。毛野臣を送還するのに、恐らく大和朝は軍を動かしていますからね。そうでなければ、毛野臣は、大和に戻らないでしょうからね。毛野臣の出自は恐らく継体天皇の近親だとおもうのですけどそうではないのかも知れません。毛野から来る連想では群馬の王族であったとも発想しますが、筑紫にもたしか三毛鄕と言うのがあって、それと毛野臣は関係がありそうに思うんですが。」
「そうだ。たしかに豊の国(福岡県東部・大分県全域)に三毛郡という地域があったことは間違いない。そしてこの地域は上三毛郡と下三毛郡に分かたれていたようだ。古代の地名が本州に移されるのは良くあることで、この地名が群馬に移されたと考えるのはどうだろう。又、この地域から身を起こした、東征の神武天皇の名も『豊御毛沼」と言うのだ。それらから推測すると、毛野臣は筑紫の一王であった可能性もあるね。そう考えてみると、磐の『かっては我が伴であったものが、私に命令するか!』という言葉になっとくできるね。真実は毛野が筑紫王国軍の武将であった可能性がないとはいえない。大和の軍勢とは無縁かも知れない。・・・それだからこその強制送還で死亡という記事になるのかもしれないな。」
沙也香が声を出した。「任那で苦労を重ねているのは筑紫勢力ということですか?」
「たぶん。そこへ大和軍がやってきて、毛野軍を破り、強制的に引き連れて還るという状況だね。」