毛野臣送還後の任那について 三
鶴巻温泉駅から歩いて五分も経たないうちに、森を背後に抱えたような温泉旅館元湯陣屋が見えてきた。敷地が一万坪というからやはりちょっとした広さだ。三人は嬉しそうに目を合わせた。
部屋からは手入れの行き届いた庭園が見えた。宿の女将が色紙をもって三人が取りあえず入った田沼と祐司の部屋にやってきた。
「ようこそ、いらっしゃいました。田沼先生、お一つサインを頂けないでしょうか?早速で申し訳ないのですが。ご予約のお名前で、田沼先生と解ったんですよ。私、先生の詩やエッセイの読者なんです。」
「私の揮毫(サイン)になんかなんの価値もありませんよ。色紙がもったいないだけですよ」
「とんでもありません。先生の詩壇においての価値は、私、尊敬しておりました」
「ほう。詩人なんてのはこの金権日本で絶滅危惧種と思っていましたが、まだ僕が詩人だと解ってくれる方がおられるというのは日本も捨てた物ではないですな。ほとんどの人は僕をエッセイストだと、思っているようですよ。」
「私、これでも、この旅館を引き継ぐまでは詩人になることが夢でして、現代詩手帳とか詩学といった詩の雑誌に投稿していたことがあるのですよ。」
田沼は、墨をすり、細筆につけ、大きな字で色紙に書き込んだ。
楓葉 霜を得て 紅なり
田沼 遼
「まあ。なんて味のある良い揮毫でしょう!楓の葉が厳しく冷たい風雪をうけたためにかえって美しい冴え冴えとした赤い色に染まると言うことですね。人も苦節を受けたからこそ魅了的な人柄になるという事を暗示しているのでしょうか。」
「さすが、深読みしていただけますね。ところで、アニメで有名な宮崎駿さんは、ご親戚だとか?」
「そうなんです。宮崎と私は従兄弟なんですよ。ご存じでしょうけど、となりのトトロの大楠の木も庭の雰囲気も、ここの中庭の雰囲気から発想したんだと本人が言っていました。」
女将は深々と礼をして引き下がって行った。
「さて、取りあえず風呂に入るか。それからビール。それから勉強だ。」