毛野臣送還後の任那について 二
この日は土曜日だったが、幸い部屋は取れた。祐司と沙也香の都合もついた。三人は午後三時に小田急小田原線鶴巻温泉駅で待ち合わせる事にした。二人と約束した時間にはまだ間があったので、田沼は駅周辺を歩いてみた。駅の回り数百メートルは建物が建っているが、線路が東西に走っている北側には海抜1200㍍の大山がそそりたっている。線路の南側の駅前周辺の集落を抜けると田畑が広々と拡がっている。柿の木が赤い実をつけ、田の畦に植えられている菊が、汚れなく冴え冴えと花を咲かせている。田沼は、稲の刈り終わった田に、雀の群れが落穂をついばむ様子を見ながら一時間ほど畦道をのんびり歩いた。田沼はこのようなとき、いつも肩から斜めに革製のバッグを下げている。バッグには文庫本が数冊、貯金通帳、小型デジカメ、創作メモノート、ハンカチ、ティシュペーパー、電子辞書、ウイスキーのスキットレー(ステンレスの小型ボトル)などが入っている。貯金通帳は田沼の家計簿なのだ。ここに田沼の全財産が入っている。、文豪の永井荷風は出歩くときに鞄に全財産の現金を持っていたという伝説がある。荷風は横浜正金銀行の海外社員もやったことがあるのにである。現代の荷風は身軽である。バッグに通帳を入れ、尻ポケットに入れた財布に銀行カードを入れればどこにでもあるコンビニですぐにお金がおろせる。荷風がそれを知ったならさぞうらやましがる事だろう。でも言うかも知れない。銀行だってつぶれる。信用するな。つぶれれば君の全財産は失われる。しかし僕らの時代は「ペイオフ」(これ以上払わないよ。だって!ふざけた名前だなあ!)で一千万円までは国によって保障されている。で、田沼は他銀行の通帳を数冊持っている。でも、基礎データーの喪失と言うことになったらそれも解らないな。そんなことを考えながら田沼は三角屋根のように組み上げられた稻穂や向こうに青く見える大山や小池に映る雲を撮った。
それでも、まだ時間があまったので、駅前の喫茶店で、水が良いのであろうか、旨い珈琲を飲んだ。田沼は、この「太安万侶・・・」の探求を終わった後の事を考えた。田沼は思った。次作はプルーストの書いた、「失われた時を求めて」の、青春版みたいなものを書いてみたいと。
午後三時、祐司と沙也香が駅前にやって来た。