毛野臣送還後の任那について 一
それから、一週間経ってしまった。その間、田沼は秋の空が気持ちよく拡がっているので、歌人の源実朝の切り落とされた首が埋まっているという秦野の金剛寺にある実朝首塚を訪ねた。田沼は、このところ、「実朝、青春に死す」という、歌論に取り組んでもいるのだ。それで、実朝の首なのだ。実朝は、かの源頼朝と北条政子の次男で、第三代鎌倉幕府の将軍なのだが、兄の第二代将軍頼家の子の公暁に鶴岡八幡宮で襲われ、切り落とされた首が行方不明になってしまっている。後世になって、秦野に実朝の首塚がある事が判明した。田沼は、鶴岡八幡宮内の国宝館で、かっては、その首塚の塔であった高さ一メートルほどのカラメル色の美しい輝きを持った木製の塔を見て驚いたことがあるのだ。鎌倉時代と言っても800年も昔だ。その800年の古さを以てして、艶やかなマホガニー色をしているのはちょっと異様だ。田沼は思う。きっとこれは、墓と言っても、お堂と言った屋内に置かれていたのだと。近年、秦野の遺跡調査で、首塚のあった地域が、地域の郷士、秦野氏の邸宅あとだった可能性が高いと。
田沼は、そんな思考の中から、ふと思った。そうだ、この近くの弦巻温泉に源頼朝を支えた武将、和田義盛の別邸だった温泉宿「元湯陣屋」があったな。ここは奇しくも、「となりのトトロ」を始めとしたアニメの名作を作っている宮崎駿監督のゆかりの場所でもあるそうだ。監督は女将と従兄弟で、良くここに滞在していたそうで、トトロの住んでいる楠木は、この庭の楠木から発想したと監督自身が言っている。そうだ、我々の、この話の終局はここでまとめよう。
田沼は、祐司と沙也香に電話した。「今夜、元湯陣屋で話の続きをしたいのだけど都合はどうかな?ここの温泉はカルシウム含有量世界一という名湯だよ」
この、殺し言葉に祐司も沙也香もまんまと乗ってしまった。