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詩人田沼の探求の終わり 十六

 沙也香が言った。「え、そんなにいっぱい奥さんがいたんですか?」

「そうだよ。古代の族長はそれが当たり前だったのさ。知らなかったのかい?」

「数人とは知っていましたけど、そんなに多いとは思いませんでした。」

「なにしろ平均寿命が30歳なんて時代だ、幸運な者だけが病にもかからず長生きできるのさ。それで、子孫を残さねばならない王は多くの妻を必然的に持たねばならないのだ。女あさりで、あの女・この女と集めているわけではないのだ。オホン、沙也香君、その嫌らしいという目つきはやめてくれないかな。・・・さて、継体天皇の経歴に関することなんだけど、書紀の記事に依れば、継体天皇は亡くなった年が八十二歳だったという。この年齢が正確だとすると、本当の在位が二十八年だから五十四歳にして天皇になっているのだ。この年はほぼ妥当だと僕は思うね。なぜならば、天皇になる前の継体はすでに地方の王だったからだ。書紀は書く。継体が天皇になったとき、皇女の手白髪たしらかを妻としたとね。それから又妻を求めたとね。しかし、地方の王であった(書紀では大阪の三国、古事記では近江だよ)すでに中年の継体に妻がいないわけがない。記事では、手白髪皇女を妻としてから十五日目に八人を天皇妃とするのだ。書紀の記事ではこうだよ。


 十四日。八の妃をめしいれたまう。八の妃を入れたまうことそれぞれ先と後があるが、この日に入れたまうとここで言うのは天皇に即位された後の良き日を占い選んで後宮となされたその日を文にしたからである。 即位以前からの妃、尾張(名古屋)連の草香くさかの娘の目子媛めのこひめ(安閑・宣化天皇実母だね)。二人目を檜偎ひくま(大和国高市郡)の高田皇子(みこ)と言う。次の妃を三尾(兵庫県内か)の角折の君の妹、稚子媛わかこひめ。次に坂田(近江坂田郡)大跨おおまた王の娘の広媛ひろひめ。次に息長おきなが(近江坂田郡)の真手王まてのおおきみの(近江坂田郡)の娘を麻績娘子をみのいらつめという。次に茨田まむた(大阪港湾地域)の連小望の娘、あるいは妹である関姫。次に三尾(丹後)君堅楲(かたひ)の娘の倭媛やまとひめ。次に和珥わに(天理市)の臣河内の娘を荑媛はえひめ。(註・省略あり)


 これらの妻達の出身を見ると継体の妻は皇族ではなく地方の王のむすめのようだね。それから妻としたのはそれ以前であると、本文で真実を漏らしてもいる。

 つまり後の世に継体天皇と呼ばれる男大迹おおど王は、近畿周辺の諸国王達の娘を妻として、結束を固め、近畿周辺では強力な指導者となっていたのだ。そうして、従来からの飛鳥の中心王朝が腐敗し、力を失った期を捕らえて、その王朝を乗っ取ったのだ。それから、おもむろに手白髪媛という、父が仁賢天皇で母が雄略天皇の娘という、大和王家の濃厚な血を自分と融合させて、血筋でもない者が天皇に成り上がったわけなんだよ。血筋ではないと、ここに言うのは、書紀は新天皇即位に関しては、必ず天皇の血筋を書くのだが、継体天皇に関してだけはそれがなされていないからなんだ。」

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