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詩人田沼の探求の終わり 五

 食事のあと、三人は田沼と祐司の部屋に移った。部屋の外の海が満月に照らされて銀板のように光っている。三人はソファーに腰を下ろした。

「こうして、磐井の乱が一応平穏にもどった翌年の三月、つまり三ヶ月後、三韓の政状は急にあわただしくなるんだ。書紀ではこの記事に二十三年三月の日付を付けているが、もちろん三年後の出来事だね。


 百済の王は下哆唎あろしたり(任那の一国)の国守、穂積押山ほずみおしやまに言った。『百済が倭に朝貢する使いが、岬を避ける度にいつも風波に苦しみます。貢ぐところの品は潮をあび、損なって崩れ醜くなってしまいます。ですから多沙の港を頂いて、船路の良き港としたいのです』と。この言葉を、押山は奏上した。


 この記事にさかのぼる、書紀・継体六年の条に、・・・つまり、十九年前の事だ、任那諸国を倭国が譲る記事があるのだ。


 書紀・継体六年(512年)四月六日 穂積臣押山を遣わして百済に使とした。筑紫の国の馬四十頭を贈り物とする。

 十二月に百済は使者をよこして貢ぎを献上した。これと共に上表文を寄こして任那みまな国の上哆唎おこしたり下哆唎あろしたり娑陀さだ牟婁むろの四つのこおりを欲しいと言ってきた。穂積押山は貢ぎとあわせて倭国に奏上した。その文に言う。


『この四県は百済に大変近く、日本(原文)にはるか隔たっております。四県は百済からは朝に夕べにと通いやすく、犬や鶏の鳴き声が聞こえるほど近接しております。今、四県を百済に与えられ、合わせて同じ国とするならば賢い方策でこれに勝るものはございません。このようになされたとしても、後世にはなお危ういところがあります。国境ちかくにおいては、今日明日にも良く守り難いほどです。』

 大伴大連金村おおともおむらじかなむらはこの言葉を受けて、同意し継体天皇に奏上した。このことは受理されて、物部大連麁鹿火をこの決定を伝える使者とした。

 この命により物部の大連が、難波の客館に向けて出発しようとするときに、その妻が押しとどめて言った。『住吉大神が海の向こうの白銀・黄金の国、高句麗・百済・新羅・任那などをもって胎内にいる応神天皇に授けられたのです。それで神功皇后・大臣武内宿禰(たけうちすくね)とは、諸国に初めて宮家(大和国は外国に置く屯倉を宮家と呼んだ)を置いて海外の属国とすることは久しかったのです。それを、もし割いて他に与えれば、神が与えられた配分と異なり後世のそしりを受けるでしょう』

 大連は言った。『教え示すことは理にかなっているが、恐るべきは、天皇の命にそむいていることだ。』 その妻は諫めて言った。『病と申して宣上なされませ。』大連は諫めに従った。



 



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