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詩人田沼の探求の終わり 四

伊豆下田東急ホテルは下田のにぎやかな港町との間に下田公園の岬を置いた静謐な湾の丘の上に立っている。田沼は祐司と野天風呂に入った。真っ青な湾の上に夕焼けの雲が広がっている。

 祐司は言った。「実にすばらしい眺めですね!」

「ああ、ここはいつ来ても心が洗われる所だよ。鎌倉プリンスホテルから見る相模湾もなかなか美しいものだが、ここはもっと素晴らしい所だ。」

「さすが詩人、良いところを知ってますね。今に田沼先生の歌碑が立つかも」

「よせやい。こんな風光明媚な場所に無粋な歌碑は、たとえ北原白秋のものでもやめて欲しいよ。まして僕のなんかは絶対だめだ!それに僕は当分死なないつもりだし!」

「そうですね。悪い奴ほど死にませんからね!この美しい景色に見とれながら沙也香さんも、うっとりしてお風呂にはいっているでしょうね。」

「あれ?沙也香君がお風呂に入っている様子を、君は想像しているのかな?」

「いやですよ先生。そう言うことではありません」

「ほら赤くなった。きっとそうだ。そろそろ沙也香君に告白したらどうなんだい?」

「し!先生声がでかい。聞こえてしまうじゃありませんか」


 田沼と祐司と沙也香はホテルの日本料理レストラン「はまゆう」で夕食を取った。伊勢エビの鬼殻焼き・アワビのソテイ・刺身舟盛り・金目の煮付けなどがテーブルに出ている。田沼は生ビールを一杯飲んだ後、伊豆の銘酒、羅生門龍寿を冷やで飲んでいる。窓からは暮れて行く湾が濃紺に拡がっているのが見えた。田沼は伊豆の美味にしばらく無口で陶然としていたが、ようやく口を開いた。


「磐井が大和国によって殺されたのが、今までの考察で継体二十五年(531年)であることが解ったね。この後、磐井天皇や太子・皇子など多くの王族を失った倭国は力が衰えたとはいえ、大和国が統治するまでには衰微しなっかったのだと思う。筑紫倭国の親類・縁者は九州至る所に王として生き延びていたからね。倭国は当時強大な国だった、瀬戸内海沿岸・四国・日本海沿岸・新潟あたりまで、その支配の手を伸ばしていたはずだ。その強大な国が、大和国の筑紫侵入だけでつき崩されるはずがないよ。それは磐井が殺されたあとの日本書紀の記事から解るよ。


 筑紫の君葛子、父のつみによりて誅せられむことを恐れて、糟屋の屯倉を献上して死罪を許されることを願った。

 

 これによると大和国は、磐井の家を全滅にせず存続させざるを得なかった事が判るよ。」



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