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倭国とすり替わって行く日本国 五

「その後の遣唐使の有様をみると、隋書が書く『遂に絶えた』というのが本当だったように思えるけど、どうだろう?」

「そうですね。大体において、中国史家の地位は高く、それが歴史記述の正確度に反映しているようです。しかし、それとても、その記述させた国家に不利な記述でもしようものなら死罪を受ける事があったと言いますから、真実は曲げなければならなかったようです。しかし中国の史書は、日本書紀が一種の武器であるのにくらべれば、文化的国家装飾だったのじゃないかと思います。中国の王家は、その史書を道具として王家の長期的存続を図ろうとまではしていません。これに比べて大和朝は日本書紀をもって、王朝を永遠に保たせる精神的幻想を作り出す武器としているということですかね。従って真実を歪めていることは相当なもんだと思います。このことは、心ある史家の気持を逆なでにしたことは間違いありませんね。それゆえ史家は真実をどこかに、気付かれない用に残そうとしました。それが書紀継体天皇紀最後の文章勘『後勘校者知之也』なんですね。勘は考える、校は校正の単語にも使うように比べると言う意味があります。ですから『後に考え比べる者は真実を知るであろう』という意味になります。これは歴史書としてはずいぶん変わった表現で、書記集解しょきしっかい(尾張藩士、国学者の河村家の手になる、書紀初の原典研究1805年完成)では、書紀完成後に加筆されたとされ、その後はこの説にほとんどの学者は従っているようですが、岩波文庫書紀ではこの説はとっていません。

 この『後勘校者知之也』は、ひんぱんに出てくる言葉でなく、僕の知るところでは他に欽明天皇二年三月条に用いられているだけなんですね。それは何故か、継体紀一カ所の使用では、編纂者の意図が透けて見えるからなんだと思います。ぼくは、この表現が書紀にはいっぱいあるのだと思っていましたが、多用されていないで二カ所にとどまると言うことに正直おどろきましたね!そこから考えますと、先生が言うところの太安麻呂が『後に考え比べる者は真実を知るであろう』と書く時、彼は相当に命をかけた表現をしているということが言えないでしょうか?」

「そうだね、そういうところだ。ここは太安麻呂の書紀のハイライトだよ!」



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