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倭国とすり替わって行く日本国 一

 祐司は言った。「日本国つまり大和国は元は小さな国だったが、方500キロを越える倭国を吸収して大きくなったと書いているわけですね。倭国のその名が雅(原文)でないのを嫌って、日本国が倭国を吸収した際に、国名を日本に改めた・・・ということですか」

「そうだね。大化の改新期(646年)である遣隋使・遣唐使の頃は、いまだ倭国は元気だったのだ。筑紫倭国は韓国はもとより隋・唐への使者を出していた。そうした中、隋朝の終わりに日本(大和王朝)は初めて小野妹子を主席とする小さな使節団を隋に送ったこと書紀に短く書いている。


 書紀 推古十五年(607年)七月三日条 大礼小野妹子を大唐に遣わす。鞍作福利を以て通辞(通訳)とした。


 とね。しかし隋書倭国伝によれば、倭国はその七年前に隋に使者を送っている。


 隋書倭国伝 開皇二十年(文帝在位期。600年)の条 倭王がおり、姓は阿毎あめ、字は多利思比孤たりしひこ阿輩雞弥おほきみと号した。使いを遣わして隋都長安に入った。文帝は役人に、その風俗を尋ねさせた。使者が言うには『倭王は天を兄とし、日を弟としている。天がまだ開けないときに出て政治を執行し座し、日が出れば仕事をとどめ、わが弟にまかせると言います』というので、文帝は『これは大変非合理なことだ』と言って、教え改めさせた。(中略)男子は多く腕にも顔にも体にも入れ墨し水に潜って魚を捕らえる。(中略)気候は温暖で草木は冬も青く、土地は肥え美しく、水が多く陸が少ない。小さな環をの首にかけ、水に入らせて魚を捕まえさせ、一日に百余尾を得る。(中略)阿蘇山がある。その岩石に理由もなく火が起こり、天に接するように噴き上げているので、異常な事だとして祈祷を行う。如意宝珠にょいほうじゅがある。その色は青く、その大きさはにわとりの卵のようで、夜は光を放つ。魚の目玉だという。新羅・百済は倭が大国で珍宝が多い国であると尊敬し、常に通使を送り、往来する。


 どうだい『倭王は夜明け前執務し夜が開けると弟に政治を委ねる』『阿蘇山がある』『草木は冬も青く』『男子は多く入れ墨し水に潜って魚を捕らえる』『水が多く陸が少ない』『魚の目玉で作った青い宝珠がある』『新羅・百済と以前から交流している』・・・祐司君これらの言葉の対象として大和国を考えることができるかな」

「『阿蘇山がある』は決定的ですね。これは明らかに本州でなく九州の事ですね。そして又、『倭王は夜明け前政治をとって世が開けると政治を弟に委ねる』は九州にあったであろう邪馬台国の有様にひどく似ている統治形態ではありませんか。そして『草木は冬も青い』は温暖な常緑樹の多い地域であることを示していますよね。そして、人々の多くが漁業と珍宝の交易に従事している様もかいま見えますね。ですから、この地域がどこであるかと問われれば、九州・山陰、瀬戸内海周辺」あたりではなかったかとと僕は思います」

「僕もそう思う。この600年の隋への使者はどうやら筑紫からのものであったとは言えないだろうか?」


 

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