田沼自宅の月と海
一通り検証と雑談を終えて、皆は帰って行った。すると、今まで静かだった古民家が何やらぶつぶつ独りごとを言い出した。丘の上にある、田沼の家の庭からは中天にかかった月と海と江の島が見えていた。
気がつけば、既に秋だった。小さな庭の草むらのなかで虫が鳴いている。沙也香君が言うことには、既に出版に充分な、掘り下げができているという。しかし田沼にはまだ十分だとは思われなかった。よくあるトンデモ本なら、それでも充分だろうけど、田沼は書紀が倭国を隠蔽している様をもっと示して、落語で言う落ちにしたかった。田沼は久しぶりに音楽を聴いてみた。ホルストの『惑星』だ。
失われし王朝よ!君はそこにいたか!日本書紀にいう『後に考えむ者知らむ』とは僕のことなんじゃないかと心の片隅で思いながら『惑星』を聞いていると、陶然とした甘味な気持になった。なんだか太安麻呂が田沼にはとても近い人に思えた。
そのとき田沼の心に歌が一つ浮かんだ。
大王之遠乃朝廷跡 蟻通嶋門乎者見 神代之所念
(大王の遙か昔の朝廷の跡にむけて蟻のように通うこの船から海峡の島々を見る者には神代の事が身にしみて思われます。)
奈良の都から筑紫に下る船で柿本人麻呂が作った万葉集に載る歌だ。まさに、国破れて山河ありの心境が現れているではないか。人麻呂は、ここで遙か昔の筑紫倭国の有り様を思って感慨に包まれているのだ。
遠の朝廷という言い方は独特の言い回しだなあ。人麻呂は筑紫に向かう船上で在りし日の筑紫の大王の壮麗なみやこを想起しているに違いない。人麻呂が死んだのは書紀が完成した720年だ。そのころに、タブーである、筑紫の朝廷を想起させる、このような歌を作るのは人麻呂の立場を悪くしたに違いない。それで続日本紀などには人麻呂の名がないという、安麻呂と似た扱いをされていうのかもなあ。それについて梅原猛は人麻呂の多くの謎について書いているんだ。
太安麻呂と柿本人麻呂、なんだか本人たちの国史上の位置づけはもとより、子孫たちの衰亡にも似たところがあるなあ!