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日本書紀のミステリーに挑む  二十四

「さて、今日はそろそろ、おしまいにするか。ああ、それから最後に一つ付け加えたい事がある。

『新唐書日本伝』の記事には注目すべき記事があることを伝えておこう。新唐書は宋(北宋)の仁宗皇帝の時(1060年)、編纂された225巻から成る膨大な中国正史で『隋の開皇末(595年頃)日本は初めて使を遣わした』とあるのだね。・・・これは変だね。晋書・宋書にある倭の五王の中国朝貢の記事がないのだからね。

 新唐書は旧来、唐書と呼ばれていた史書のあとに、その不備を充実すべく新たに編纂されたものなんだ。それで旧来の唐書は旧唐書(後晋・出帝の時=945年成立)と呼ばれるようになり、新しく編纂された唐書は新唐書または唐書と呼ばれるようになったんだ。この新唐書、僕が思うに、なんだか不当に評価が低くて、隋書倭国伝とか旧唐書倭国日本伝などは文庫本で出ているのに新唐書日本伝の文庫本は出ていないようなんだね。新唐書の日本伝はたったの数ページに過ぎないののだから、旧唐書倭国日本伝と一緒に載せておいてくれればよいのにアーアだよ。

 

 さて、新唐書日本伝には『用命また目多利思比孤は開皇末(600年ごろ)に初めて使いを中国につかわした』とある。これは隋書倭国伝の


 開皇二十年(文帝・600年)倭王がおり、姓は阿毎(アメまたは天)字は多利思比孤たりしひこ阿輩雞弥おほきみと号した。使いを遣わして隋都長安に来た。・・・


 と言う記事を更に充実したものと言える。・・・新唐書はここで驚く事を記事にしている事を祐司君は気づいたかな。それは


『日本は用命天皇のとき初めて使いを中国に遣わした』


 と、いうことだね。そうすると、大和王朝はそれ以前は、中国と使いを交わしていなかった事が判明する!そうであるなら413年から502年にわたり中国と交流した倭国とその五王は、大和王朝=日本と別な国であったことがくっきりと解るじゃないか。用命天皇の在位は585年~587年だからね。・・・そう、長らく中国と関わっていたのは筑紫を中心国とした『倭国』だったんだよ!



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