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日本書紀のミステリーに挑む 二十二

 祐司は言った。「うーん。書紀の記事には唐朝における滞在記事がないですね。」

「そうだね。大和王朝最初の唐への訪朝なのに、唐における記事が皆無というのは、深読みすれば、大和朝は唐に行っていないと言えるんじゃないかな」

「そうですよね。大和官人の名前が十人近くも出てくるのに、唐の官人の名は高表仁こうひょうにんのみだというところに、大和王朝の宣伝臭が感じられますね。」

「この第一回の遣唐使に限らず、その前の第二回遣隋使でも、そのことは感じられるね。・・・ところで、中国訪朝について隋書・旧唐書にあって、書紀にない記事があるね。隋書・開皇二十年(600年)の記事と旧唐書の貞観じょうがん二十二年(648年)の記事だ。旧唐書の記事は次のようだ。


 旧唐書 貞観二十二年(648年・大化四年)条 また倭は新羅に付し表を奉じて、もって起居(動静)を通ず


 訳 また、倭国は新羅使に付けて文書を唐朝に上呈し、倭国の状況を伝えた。



 日本書紀に、これに似た記事がある。


 

 書紀  大化三年(647年)十二月条  新羅、上臣大阿湌(だいあさん)(新羅十七階第五位)、金春秋こんしゅんしゅう(田沼注・新羅の王子だ。後の新羅武烈王だよ!、翌年の648年唐に入朝した)らを遣わした。博士小徳高向黒麻呂(たかむくのくろまろ)(田沼注・玄理の事。以前、裴清に伴って唐に入国しこの時帰国したのだ。又このあと唐にふたたび入国し、唐を愛し、ついに唐で一生を終えた数奇な運命の人だよ。この人の存在は詩人の心をさそうね!。この人は漢人との混血と推測できるんだ)・中臣押熊をともに送って来た。孔雀一羽、オウム一羽を献上した。新羅は春秋をもって倭に人質とした。春秋は姿、顔立ちが美しくほこらかに談笑することを好んだ。


四年二月 三韓に、(三韓とは高句麗・百済・新羅のことなり)学問僧を遣わす。


 どうだね、ここで旧唐書と書紀はかなり一致した記事を書いているね。岩波文庫『日本書紀』解説には、春秋が翌年唐に入朝し、唐と共に百済を陥すことを相談した。とあるのだ。この解説文のもととなる史料が記されていないけど、これが本当だとすると、すごいことだね。後に新羅と唐は百済を挟み撃ちにして滅ぼすのだから、金春秋はそれを画策したヒーローだからね。このこと真偽ついては、ここでは究明に余るから、又のことにしようと思う。


 ・・・まあ、しかしここでの旧唐書と書紀の記事の整合は見事だね!

 


 

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