日本書記のミステリーに挑む 十九 隋書を改変している書紀
「だから、『哥多毗』がちょっと整合することが決定的な書紀記事の正確さを示さないと言って良いのではないかな?この件もまた倭の五王の天皇比定に似た曖昧さを持っているということだね。・・・それよりも、僕らがもっと注目すべきことがある。それは、隋書に書かれた文章と書紀の文章の示す内容の微妙な違いだ。隋書では上陸する前の随の一行の足取りをこう書いている。
百済を竹島に行き。南に聃羅(済州島)を望み、都斯麻国(対馬)を経て遙かに大海の中にある。また東に行って一支国(壱岐)に至り、また竹斯国(筑紫)に至り、また東に行って秦王国に至る。その住民は華夏(中国)に同じで、これを台湾ともするが、不詳である。また十余国を経て海岸に達する。筑紫国以東はみな倭に付随する。 倭王は小徳阿輩台を遣わし・・・
隋から倭への一行は筑紫に着いてから更に船を東に向けて、次に中国人がいるらしい小国・・・唐津かな・・・そのあたりから陸に上がっているように思える。何故かというと、次の文が『また十余国を経て海岸に達する』とあるからだね。
十余国は、海岸にはないのだ。従って、これは陸行だね。上陸してからの方向は書かれていないけど、これは筑紫内の地理であることが判明する。そして次の文が、筑紫国以東はみな倭に付随する。とさらに決定的だ。西暦600年当時の倭国の中心が筑紫にあって、以東の諸国が倭国に従う国だったことがここに表現されていると僕は思うのだ。
書紀の文書は、この隋書の記事を改変して、すべてを大和に引っ張ろうとしているように思える。つまり我田引水だね。隋からの遣使は筑紫倭国をめざしたものなのに、近畿大和国を目指していると書き換えているのだね。極端なことを言えば、大和王朝は隋書のこの記事には困ったはずだ。この記事を総力かけて改変していると見るのはどうかな。だから、僕らはこの、書紀・推古十六年の隋からの使者の記事にだまされてしまうと言うところかな。太安麻呂は、おそらく書紀の文章をもっと完璧なものにに捏造できたろうけど、真実が判断できるように適当な不完全さを残したと考えられないかな?」