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日本書紀のミステリーに挑む 十七 遣隋使の文は捏造

 沙也香はぼそりと呟いた。「隋書と書紀の登場人物で共通と言えるのは随の使者『裴清はいせい』と倭国の接待役『哥多毗かたび』でしょうか・・・」

「そうだね。遣隋使長の小野妹子が蘇因高だという記事は隋書にはないから、小野妹子は両書の共通の登場人物とは言えないね。隋書には


 大業三年其王多利思北孤遣使朝貢使者


 (大業三年《推古十五年・西暦607年》その王タリシホコは朝貢使者を使いとして遣わせる)


 と、書かれているのみなんだね。使者の名があったらね、随分史実が判明しただろうな残念だと思うのは僕一人ではないだろうね。


 隋史では、この使者の無礼な『東の天子が西の天子に・・・』といった書に帝王が怒り、この国の書は

もう二度と、私に提出するなと怒るのだが、意外にも翌年、随朝は突然、臣の裴清を倭国に遣わすのだね。記事を深読みすると、どうも裴清の倭国訪問は敵情視察といったものだったように僕には思えるんだ。隋書では、裴清が帰国した時に倭国から隋まで貢物を添え送っていくと簡単に記したあと、『比のあと遂に断つ』とあって、書紀の描くような暖かな交流があったようには思えないんだ。・・・ここで余談だけれど、この文書で用いられている『比』の字の偏は、多利思『北』孤の字と違って、偏の横棒が左にはみ出していないのだ。多利思『北』孤の『北』と思われる字は横棒が+の形ではみ出していて『比』でも『北』という字でもないのだよ・・・まあ、これはこの文章の末に、はみ出していない『比』の字があることか、判断すれば多利思『北』孤がベストだね・・・。

 

 さて、都の大路で裴清一行を二百人の兵を引き連れて出迎えたのが哥田毗かたびなんだ。多くの学者は、これが額田部ぬかたべ姓と、ジャスト・フイットするので額田部氏に定めているが僕は首を傾げるなあ。これが、日本書紀の記事が正しいとするたった一つの証拠なんだ。僕にはね、どうも書紀の文章は創作のように思えるんだ。額田部みたいな名前は、九州の倭国にだって居そうだよ。


 とにかく書紀の文章と隋書の文章は整合しないところが多すぎるね。『小野妹子は蘇因高と中国で呼ばれている』などという文書は、あたかも隋書に書紀がすり寄っている印象すらあるね。!


、それから隋書には本当は倭国すら登場しない事をここではっきりさせておきたいな」

 沙也香はエ!と言う顔をして、田沼を見た。

「以外だろうけど本当さ。隋書の原文を見ると『俀国だいこく』という表題があって、そのあとに《


 『俀国』は百済新羅の東南にある。水陸三千里、大海の中にあって、山島に寄り添うように住んでいる。魏の時・・・


 と、いうように書かれているんだけど、名は違うが、これは倭国の事にまちがいはないな。




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