日本書紀のミステリーに挑む 十六 書紀の遣隋使記事は創作?
「その時に阿倍の臣、出て進み、その書を受けてもどった。大伴囓連はこれを迎えて受けて」帝の前の机に上に置いて奏上した。事が終わりみな退出した。この時に皇子・諸王・諸臣はことごとく金製の飾り花を髪に飾っている。着物も錦、紫、刺繡、五色の薄物を用いている。ある本にいわく服の色は冠の色と同色にするという。四日後の十六日唐の客人達を朝廷で饗宴してさしあげる。
九月五日、客等を難波の大郡(外国使者接待用の施設)で饗宴してさしあげる。十一日、唐の客、裴世清が帰国した。その一行に、また小野妹子が同道して大使とした。ついで吉士雄成を小使とした。福利を通事(通訳)とした。
天皇が言われた「東の天皇がつつしんで西の皇帝に申し上げます。裴世清等が」我が国に来たりて、ながらくの間、国交を求めていた我が国の思いが遂げられました。近頃はようやく涼しい気候となりましたが、帰国ではいかがでしょうか。お変わりございませんか。当方はつつがなく暮らしております。今、大礼蘇因高・大礼雄成を貴国に使いとして出します。思いのすべてを書くことはできませんが、謹んでもうしあげます」 この時に学生八人を同行させた。 」
メモを読み上げて、田沼はメモから目をあげた。「どうだい、隋書の書く遣隋使と書紀の書く遣隋使はだいぶイメージが異なるとは思わないかい」
祐司はそれを受けて答えた。
「第一の印象は、隋書では、裴世清の一行は、筑紫より先に行っていないと読めることですね。なにせ筑紫に到着した世清は十日後に倭都に入っているし、文中で『筑紫より東は皆、倭国に付属する』とも書いているのですからね」
「そうそう、そういうことだね。書紀の遣隋使の記事は見事な創作である可能性があるということだな」