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日本書紀のミステリーに挑む 十二 唐は日本国を知らなかった!

「この年をさかのぼる五年前に・・・その年は孝徳天皇白雉(はくち)五年(654年)なんだ。、白雉は日本最初の年号、同じ孝徳天皇の『大化』の五年間に続く年号だね。・・・その年に大和朝廷が第三次遣唐使を送る記事があるのだ。その記事のあとに、渡航者のその後の命運が渡航年次にこだわらずに書いてあるのだ。その部分を原文で抜き出してみると


 ・・・妙位、法勝ら十二人、別倭種韓智興(かんちこう)趙元宝しょうげんぽう、今年、使人と共に(日本に)帰る。


 ここでは、他の遣唐使とわけて『別倭種』と記しているんだ。これを岩波文庫版日本書紀の訳では


・・・妙位、法勝ら十二人、別に倭種やまとのうじ韓智興・趙元宝、今年、使人と共に(日本に)帰る


 と、しているが、これが正しいとは僕には思えないんだ。」


 祐司がうなずきながら声をはさんだ。「そうですね。岩波文庫版の訳は正しくはないでしょうね。」

「そうだよね。ここでわざわざ別倭種韓智興を持ち出してくるのは、第四次遣唐使の争乱の伏線だと考えられないかな」

「そう言うことですか!唐朝で倭国官吏と大和朝官吏が主導権をめぐって争った事を暗に示しているんですね!」

「そう、まさか書紀に倭国の存在をあからさまにすることができないながら、多分、太安麻呂だろう執筆者は、おぼろげに示そうとしているんじゃないかな。孝徳五年(654年)の遣唐使の記事には、もうひとつ注目すべき記事が載っている。これは、『別倭種』の記事の前の記事なんだけど・・・


 唐の官吏、郭丈挙かくじょうきょは、ことごとくに日本の国の地理、および国の初めの神の名を問う。みな問いに従って答えた。


 この記事は随分変な記事じゃないか。唐は日本については、この時点では倭の五王の中国朝貢を始め、すでに熟知しているはずだよ。それなのに事細かく日本について聞き出している。これでは、見知らぬ異邦人の扱いそのものだね。それに遣隋使や遣唐使が既に何十度も来て日本について熟知しているはずなのにおかしいね」

 沙也香は首をひねった。

「調べてみるとだね、この孝徳五年(654年)の遣唐使船の一年前に第二回遣唐使船が出ているが、二隻とも沈没して全滅しているんだ。


 ここで書紀に記す、遣隋使・遣唐使の記録を整理してみよう。書紀に記す最初の記事はこれだ、


 第一回遣隋使 推古十五年(607年) 七月三日 大礼だいらい(十二階の五位)、小野妹子おののいもこを大唐につかわす。鞍作福利くらつくりのふくりを通事(通訳)とする。


 ・・・この条はこれだけだ。翌年、帰国する妹子に唐の使者、裴世清はいせいせいと他、十二人がついて、筑紫まで帰ってくる。この時の文書は相当な量があるから、これは書紀本文を読んで欲しい。」


 


 

 


 

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