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日本書紀のミステリーに挑む 十一 別倭種という言葉

 ここまで、じっと聞いていた佐伯さんが熟女の微笑みで田沼を見た。そして言った。「すごいですね。私も、日本書紀の現代語訳などを一通り目を通したことがありますけど、普通現代語訳には詳しい注などはありませんから、そう言う点に全く気がつかない浅読みだったんですね。」

「そうなんだ。古典文学はけっこう不親切なんです。岩波の文庫の日本書紀は原文と解釈文と注から成り立っていますが、それだけでは意味が取れないことがあって、辞書やPCの辞書に頼らなければならないことがしばしばありますね。まして現代語訳はほとんど注がありませんから、やさしいようで結構難解なんですよ。僕なんかはいよいよ解らなくなって中国文の漢字の原文を見つめていることがありますよ。アハハ」

「そうなんですか!あ、コーヒーをお入れしましょうね」と佐伯さんは席を離れた。

「さて、書紀には謎めいた文章が他にもあるんだ」田沼は、また手帳を取り出して読んだ。


 日本書紀 斉明さいめい天皇五年(659年)七月三日

小錦下しょうきんげ坂合部連石布さかいべのむらじいわしき大仙下だいせんげ津守連吉祥つもりのむらじきさを唐国につかわせた。この時、道奧の蝦夷えぞ人男女二人を唐の皇帝にお見せした。皇帝は申された。『朕は、蝦夷人の身や顔が異様な事にきわめて驚嘆し、怪しみ喜んだ。使いの者は、遙か遠くより来て辛苦をなめたであろう。下がって客館に滞在しなさい。のちに又再会しよう』と。十一月一日 冬至の特別の祝いがあり、その機会に又皇帝に再見した。しかし、その後、王宮に火事などがあって、再見の機会はそれ以降なくなってしまった。

 十二月三日に、『別倭種』の韓智興かんちこう・・・別倭種は書紀の先の条に説明として出てくる言葉なんだ。これは原文で岩波版ではこれを『混血』と訳しているが、僕は文字通り、大和人と別の倭種と読むね!つまり筑紫・倭国人かな・・・の伴人ともびと西漢大麻呂こうちのあやのおおまろが、我ら大和の使節の讒言ざんげんをなした。大和の客等は罪を唐朝に得て流罪と定められた。これに先だって智興を死罪とほぼ同罪である三千里の外に流した。

 

 


 

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