日本書紀のミステリーに挑む 三
「天皇は大伴の大連金村・物部の大連麁鹿火・許勢大臣男人などに命じて『筑紫の磐井はそむき襲って西の辺地の地を領有している。今、誰が征服将軍にふさわしいか』と申された。大伴の金村大連らはみな『勇気に満ちていて兵事に通じた者は、今、麁鹿火の他にはおりません』と言った。天皇は『よかろう』と言われた。
継体二十一年の八月一日に天皇は『ああ、大連よ!かの磐井が服従せぬのだ。汝行きて討て』と言われた。物部の麁鹿火大連は幾度も恭しく礼をして『おお、その磐井は西の辺地の悪賢い者でございます。川が阻む事を良いことにして朝廷に服従いたしません。山が高いことを頼って乱を起こしました。徳を破って人道にそむいております。朝廷をあなどり、驕って自らを賢いと思っております。その昔の神武天皇の臣、道臣(大伴氏祖)より今の室屋(大伴金村の祖父)に至るまで帝を助けて敵を討ってまいりました。臣が民を非常な困苦から救った事は昔も今も変わりございません。ただ天の加護があることを願うのは臣たる私のもっとも大切にするところであります。身を慎み、神の加護を得て敵を討ちます』
天皇は申された。『良き将軍の軍であるから恩を施し恵みをたれよ。おのれに厳しくして人を治めよ。攻めるときに勢いは疾風や怒濤のようであれ。良き大将は今、人々の宝である。国家の存亡はこの時にある。努力せよ!しっかりと天罰を与えよ』と。
天皇は自らマサカリを取って大連に授けて『長門(山口県)より東は朕が支配する。筑紫より西は汝が支配せよ。賞罰は汝にまかせる。しきりに、そのことを奏上する事に煩わされることはない』
継体二十二年十一月十一日 大将軍物部の大連麁鹿火、自ら族の師磐井と筑紫の御井郡(福岡県・三井郡)で交戦する。両軍の軍旗と軍鼓が相対し、軍勢のあげる塵埃が立ちこめた。両軍は互いに勝機をつかもうと、入り乱れて闘った。そして麁鹿火はついに磐井を切り、勝敗を決した。
十二月筑紫の君葛子父の罪に連座して誅される事(殺される事)を恐れて糟屋の屯倉を献上して死罪をあがなう(許して貰う)ことを求めた。