葉山マリーナにて 三
祐二は関心したように呟いた。「それって、太安麻呂が書いたと言う古事記の序文に良く似ていますね。それに、序文だけがひどく冗舌な点まで似ています」
「そうだ、地の文から浮き上がっている事は、まるっきり古事記序文に似ていると僕も思うね。ひょっとするとこの文が、古事記序文にくっつけられたのではないかと思えるくらいさ。ところで『日本書紀私記』は日本書紀の朝廷における講義の博士(先生)の講義準備メモをまとめたものなんだが、朝廷おける講義の年次は『釈日本紀』という書紀の注釈書に書かれているんだ。それは養老・弘仁・承和・元慶・延喜・承平・康保などの年だ。『日本書紀私記』にはまず序文があって、その次にいつの時代に書かれたのか不明な私記が順次筆記されている。これを甲本・乙本・丙本・丁本と呼んでいる。甲・乙・丙本は水戸徳川家の所蔵本であり、丁本は京都六人部克巳氏所蔵本だという。書かれた年代が不明と言うが、甲本には、『日本紀私記ー今、養老五年私記の案によってこれを作る』という表題があるのだ。他の乙・丙・丁本には表題の『日本書紀私記』とあるのみだ。普通この甲本を弘仁私記と呼んでいるようだが、なんでこの甲本を弘仁私記と呼ぶのか僕には理解できない。何故ならタイトルに=養老五年の文章による=という意味のことが書いてあるのだもの、あきらかに甲本本文は弘仁期のものではなく養老五年のものであることは間違いない。ところが、その前の序文には、弘仁期の講義者である多人長の名が記されているのだ。だから、世に言う弘仁私記は弘仁私記と呼ぶのにふさわしいとはいえないね。弘仁期の文章は、乙本かもしれない」
今度は沙也香が言った。「すると、『甲本日本書紀私記』と言うのは弘仁期以降に書かれた序文と養老期に書かれた書紀の講読のためのメモからなりたっているわけなのですか?」
「そうなんだ。そう言うことなんだよ。90年も前の講義のメモにいやに克明な序文がついているのだ。だから、この(序文+私記)の本意が、私記を後世に残すことにあるのでなく、古事記と日本書紀が太安万侶によって編纂された事を世間に喧伝するところにあると考えられるので偽書の疑いが持たれるんだ。それは古事記序文も同じだ」
祐司は言った。「私記序文を書いたのは多人長なんでしょうか」
「太安万侶と多人長の名をわざわざ出してくるのだから、多分、人長か、もしくは多氏の人だと思うよ」
「そうですよね」
「問題は、古事記と日本書紀の編纂に太安万侶が関わっているという文章が真実かどうかと言う事だね」
祐司が言った。「書記や続日本紀の書くところと、私記の書くところはかけ離れていますからね」
田沼は大きくうなずいてそれに答えた。「そうなんだ。しばらく僕は、この謎を追究すべく、良い研究はないかと調べていたのだがね志水という人が良い考察をしているのを見つけたんだ。えーとなんて言ったかな(と、ノートを取り出す)そうそう志水正司『弘仁の日本書紀講読と私記の成立』という文章なんだ。