葉山マリーナにて
それから数日が立った。朝、葉山マリーナの喫茶室のテラスで、沙也香と祐司がコーヒーを飲んでいると、向こうから田沼がやって来るのが見えた。葉山マリーナに来るようにと、前日、田沼から電話があったのだ。
「やあ、ありがとう。久しぶりで三人で会うね」と、田沼は微笑みながら言った。
「僕は若い頃、ここのヨットスクールでヨットの操縦を覚えたんだ。今はヨットに乗らなくなったけど懐かしいところなんだよ」
これをうけて祐司が言った。「先生はヨット操縦が出来るんですか知りませんでした」沙也香も言った。「ちょっと先生はゴルフが好きそうにみえますものね、背が高くて、ベストかなんか着てオールドタイプの木製のゴルフセットを持ってというと、すてきなオジサマという感じですよね」
「僕はどちらかというとアウトドア人間なんだ。ゴルフはさわったこともないくらいさ。ゴルフはできなくとも帆船の海賊ぐらいはできるんだよ。同じ英国文化でも僕は野蛮で非道だ。それが詩人らしくて良いじゃないか」
ウエイトレスがやって来た。田沼もコーヒーを頼んだ。
「今日、君らをここに集めたのは、海洋文化というものを味わって欲しいからなのさ。大和王朝に欠けているものは潮の香りなんだ。いくら日本書紀に三韓への侵攻が書いてあっても、大和王朝はどうしても海彦でなくて山彦だね。僕は大和王朝における海の不在や海外策の不在やらの様々な証拠を集めて、倭国の姿を掘り出したいのだ。倭国には潮の匂いがプンプンする。大和国には陸の香りがする。書紀は倭国と大和国が同一のものだと書くが、これを是認しているのが大方の歴史学者の姿勢なんだけど、僕にはそうは思えない。幸いなことに書紀編纂者は倭国が大和国とは別な物であるヒントを各所に残しているように思える。こうした事を行った編纂者とは誰だろう?それは太安麻呂という人物だったのではないだろうか。太安麻呂は古事記の編纂者というより、むしろ日本書紀の主要な編纂者だったのではないかと思う。何故なら、日本書紀完成早々、朝廷で最初の講義をしたのが、太安麻呂であるらしい事が、日本書紀の宮廷における講義の記録である「日本書紀私記」という書に残されていると言うことはもう話したね。数日前、僕は図書官から『日本書紀私記』をもう一度借りだして、漢文の世界に溺れてみた。それにはこうあるのだね」