古事記と書記 神功皇后新羅侵攻を考える
夕方になった。佐伯さんがやって来た。佐伯さんは手で牽く買い物バッグに食品を詰めてやって来た。
佐伯さんがそうしてやって来た姿は、上品でこれからフランス旅行に行く奥様の様に見えた。田沼はその姿に心惹かれた。田沼の生活にこのところなかったざわめいた思慕に似た気持が田沼の心の中に起こった。田沼はそんな気持を隠して言った。
「やあ、いらっしゃい。その姿は夕闇のなかに咲く昼顔のようですね」
「まあ、先生はお上手なんだから。こんなおばさんを褒めてもだめですよ。あの、お食事の用意にやってきたんですよ。今日はご用意しますか?」
「や、それはありがたい。お願いします。」
「よかった。無駄になるかもと思いながら来たんですよ」
佐伯さんがこちらに背を向けて、夕食の用意をし始めた。田沼と沙也香は先ほどの話の先へと進んだ。
田沼は言った。「神功皇后に憑いた神が『新羅を撃てば、自然に熊襲は従うと』強調していることが僕には印象深いんだ。新羅と熊襲は、これによればひどく濃厚な関係を持っているように思えるね。何故新羅を征服することが熊襲を従えることになるのだろう」
沙也香は言った。「熊襲というのはアイヌと同じ意味あいを持った言葉ではないかと思うのです。つまりアイヌは古代、名古屋あたりにも住んでいたのですが、大和王朝の拡大に連れて、住む地域が新潟や秋田や関東に狭まっていったわけなんです。ですからアイヌの国を靑森や北海道に限定してはならないと思うのです。それと同じように、熊襲、隼人と呼ばれる人々は、九州南部の人たちと思われていますけど、大和朝廷にとっての熊襲は、筑紫の人々の別名であったと思うのです。であるからこそ、熊襲と新羅の深い関係を示すような神の言葉があるんじゃないですか」
「そうだ。熊襲と新羅が一体であることを神の言葉は指ししめしているかのようだね。こう言ってはどうだろう?この記事は、もっとあとの時代、つまり6世紀初めの、磐井の乱に材を得た創作なのではあるまいかと。つまり、その頃は磐井の筑紫国は新羅と姻戚関係で結ばれていて、大和国は筑紫=熊襲を突き崩すには新羅侵攻が欠かせないと気づいたということかな。新羅はもとは任那の一国であったが、長らく倭国の侵略と略奪になやまされた暁に、頭角をあらわした国なのだ。新羅からの富が筑紫に渡るのを妨げることこそは、筑紫=熊襲の国力を妨げることなのだろうね。しかし、新羅の方からいうと、新羅は筑紫の属国化しており、新羅の多くの人々にとっては筑紫の影響を脱することが夢であったのだろうなと推測できるのじゃないかな。・・・僕は広開土王碑の事をすぐ忘れてしまうが、ここには、『倭が攻めてきて百済□□新羅を臣下にした』とはっきり刻まれているのだ。この倭が大和国ではないことは古事記に対外記事がないことにはっきり現れている。たった一つある神功皇后の新羅征服譚は簡単に勝利してしまって話を切り上げている、こんな書き方はいかにも作り話みたいじゃないか。これらのことから倭はどうしても筑紫を中心に日本海沿岸部と瀬戸内海、四国を臣とする国に違いないのだと思われないかな」