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古事記には韓地への侵攻記事がほとんどない! 二

「そうしておいて、筑紫国中から、ぬさ(お供え物)をあつめ、お払いの対象として生剥ぎ(生きながら動物の皮を剥ぐ)、逆剥ぎ、阿離あはなら(田の畦を壊す)、屎戸くそへ(くそで神聖な場所を汚す)上通下通婚おやこたわけ(近親相姦)獣と交わる馬婚・牛婚・鶏婚・犬婚を選び、筑紫の国をあげて罪を払う儀式を行った。その上でふたたび先日のように建内宿禰が祭場に立ち神のお言葉を願った。皇后にふたたび神が憑かれて言った。「この国のすべては、皇后の腹に座す御子の治めるところだ」

と。建内宿禰は「恐れ多いことでございます。神様が座しますお体の中にいるのは男女いずれの御子でしょうか?」神は「男の子だ」と答えた。「今、このように教え頂ける神様はどなたでいらっしゃるのでしょうか、その名を知りたいと思うのです」「これは、天照大神の心だ。これを執り行っているのは底筒神そこつつのかみ中筒男なかつつのお上筒男うわつつのお(いずれも住吉神社の祭神)の三柱の大神である。今まことにその国を得たいと思うならば天神あまつかみ国神くにつかみまた諸々の神にもれなく供物を奉り、我ら三柱の神の御霊を船に祭り、ヒノキを焼いた灰をヒョウタンに入れ、箸と木の葉の皿をたくさん用意し、これらを海の上に散らし浮かべて船を渡しなさい」

 そこで、神が詳しく教えられたようにして、神功皇后が軍を整え船を並べて海を渡って行った時、海原の魚が、大きい小さいを問わず、ことごとく船を背負って船を渡した。この時に大いなる順風がたちまち起こって、船は波に従って進んだ。そしてその波は船を載せたまま新羅の国に押し上がって、すでに国の半ばに至った。

 ここに新羅の王はかしこまって言った。「今よりのちは、天皇の命令に従い、御料馬を飼育する部民と

して、年ごとに船を連ねて、船の船体が乾くことなく、サオ、舵も乾かさず天地の続く限り永遠に途絶えることなくお仕えもうします」と。

 そこで皇后は新羅の国を馬飼部と定め、百済の国を海外の屯家みやけ(支官庁)として定めた。そして皇后の杖を新羅王城の主門に突き立て支配の証とし、住吉の三柱の神を新羅の国の守り神として、海を渡り帰還なされた。・・・」


 田沼はここまでノートを読んできて顔をあげた。そうして言った。「・・・この事業の最中にも、産気づいた神功皇后は神に、目的を遂げるまでは出産の事がないようにと祈り、石をの腰の所にくくりつけて出産を止め、筑紫の国にたどりついて御子を生んだと言うのだ。このあっさりした新羅征服譚が、古事記にある、たった一つの大和朝の海外侵攻なんだよ!」

 沙也香は言った。「そうなんですか?新羅本紀や日本書紀にたくさんあった新羅征服記事がたった一つなんですか?驚きますね!」


 

  」

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