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倭国の新羅侵略 六

 田沼はここでノートから目を上げて言った。

「この倭軍敗退の年は雄略九年、西暦465年のことだ。雄略朝は未だ元号を持たず飛鳥から北東10キロの初瀬はつせ(桜井市)に都を構えていたようだけど、 埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した文が刻まれた鉄剣には『雄略天皇が斯鬼しきにいますとき』と読める文が刻まれているんだよ。・・・これは斯鬼(大阪)のにおられたときと解釈できる内容が書かれているのだが、これが本当なら大阪にも宮を構えていた事がありそうだね。

 まあ、そのことは大した問題ではないな。雄略天皇は、いずれにしても生存中は大長谷若建命と呼ばれていたのだから、初瀬を中心に都を構えていたことは間違いない」

 沙也香は言った。「そうすると、雄略天皇は、飛鳥に10キロの都にいて、はるか遠い三韓の政策指図をしていたと言うことですか!」

「ああ、それは良いところに目をつけたね。今まで言ってきたような、濃厚な対外施策を描いているのは書紀だけなんだ。古事記の雄略紀には、一転して対外政策の一つもなく、国内のエピソードを描いているのみであることに僕は驚きを感じるね。・・・このことから推測出来ることが一つある。それはすごいことだ。つまり大和朝廷は、実際は対外政策などは何もやっていなかったと言うことだね。実際は何もやっていなかったのに、書紀編纂時に加筆されたと言うことが考えられるね。以前論証したように古事記は、日本書紀より少なくとも十年早い和銅五年(712年)成立しているんだけど、考えられることはその後、日本書紀に載る、海外事情の文章が発見されたと言うことかな。これについて僕には思い当たることがある。続日本紀の和銅元年(708年)正月の条に、『武蔵国で精錬を要しない高品質な銅が産出したことを祝って、年号を和銅と改め、役人の官位をあげ、全国に大赦を行う』とあるのだね。

・・・この、大赦の内容だが、『死罪以下、罪の軽重に関わりなく、すでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も、獄につながれている囚人もすべて許す。親などを殺す許されない罪を犯した者などはこの中には入れない。山沢に逃げ、禁書をしまい隠して、百日経っても自主しないものは、本来の様に罰する』とあるのだ。この記事に『禁書』とあることに注目して欲しい!『禁書』とは何だろう?恐らくこの年以前に古事記は完成していて、それ以外の私的歴史書は所持を禁止されていたのだと思う。それが『禁書』なのではないかな。こうした『禁書』狩りの結果、様々な史書が大和朝廷に集まってきた。大和朝廷は、成立している古事記と、そうした歴史書の違いに改めて気がつかざるを得なかった。つまり古事記は、日本と三韓の記録を取りこぼしているのだ。それに、古事記は記事が事実上、顕宗けんそう天皇(在位485年ー487年)で終わっており、その後は推古天皇まで天皇系図みたいなものである。これでは720年当時の現代史としては全く不十分なものものだった。それで大和王朝はあらたな歴史書として『日本書紀』を急遽編纂したのだ。ここで、僕の強調したいことは、大和朝廷は海外活動などはやっていなかったのではないかという事なんだ。その証拠が図らずも古事記に出てしまっているということだね」

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