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書紀にみる倭国の新羅侵略 五

 「二月後の五月、紀大磐宿禰宜きのおおいわのすくねは、父、小弓がすでに亡くなっていることを聞いて、新羅に行って派遣された四将で生き残った小鹿火宿禰おかひのすくねが支配するところの兵馬・船士および諸々の小官を自分勝手にした。これによって小鹿火宿禰は大磐宿禰を深く憎んだ。

 それで小鹿火は偽ってやはり生き残った将兵の蘇我韓子に「大磐宿禰が私にそのうちすぐまた韓子宿禰の司れる官も執るであろうと言いました。お気をつけ下さい」と言った。


 こうして唐子と大磐のあいだには隙間が出来た。百済王は日本の諸将が小さな事で関係が悪化していると聞き、和解させようと、人を韓子のもとに使わして言った。

「国境の有様などをお見せしたい。いらっしゃってください」と。

 それで韓子らは馬を並べて出かけた。河に辿り着いて大磐宿禰は馬に河の水を飲ませた。この時に韓子は大磐を後ろより射て、鞍に当てた。大磐は驚き振り返り韓子を射落とした。韓子は落馬して河に落ちて死んだ。こうして諸将は百済に至ることが出来ず戻った。

 小弓の新妻の大海おおしあまは小弓の喪に服して日本に帰り大伴室屋大連に憂いて言った。

『私には、小弓を葬るがありません。願わくば良いところをお示し下さい』と。

 すなわち大連は、天皇に、このことを奏上した。雄略天皇は大連に命じて言った。『大将軍の小弓は、竜のごとく勇ましく、虎のごとく睨んで天下を鎮めた。そむく者は討ち四海を制覇した。身を万里に労して命を三韓に落とした。哀れみ痛んで葬儀の官を遣わそう。なんじ大伴卿は小弓と隣国の由来もあるので心してあたれ』と。

 ここに大伴卿は墓を田身輪邑たむわのむらに作り、小弓の遺骸を納めた。(今、大阪府泉南郡に、それと思われる前方後円墳がある・岩波文庫書紀註)」


 田沼はここまで読んできて顔を上げた。そして言った。「まあこのように書紀記事の三韓征伐は失敗のうちに終焉するんだが、これらの記事についての考察は、ちょっと一服してから始めよう」

 

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