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書紀にみる倭国の新羅侵略 四

「雄略九年(465年)三月天皇は自ら新羅を討とうとなされた。しかし神のお告げによれば『新羅に渡ってはならない』と言うことなので、天皇のこの気持は果たされなかった。それで紀小弓宿禰きのおゆみのすくね蘇我韓子宿禰そがのからこのすくね大伴談連おおとものかたりのむらじ子鹿火宿禰おかひのすくねらに次のように命じた。

『新羅は西の土地にあり、代々、わが朝に臣従して朝貢も欠かすことがなかった。ところが朕が天下の王になるに及んで、対馬に駐屯し後衛を韓地東岸に置き、高句麗の貢ぎを妨げ百済の城を併合している。当然のことながら我が朝への貢ぎも怠っている。新羅にはオオカミの子のような荒い心があって飽きると離れ去り餓えると近づいてくる。今、汝ら四卿を大将に任じる。新羅に王軍をもって攻め討って天罰を与えよ』

 紀子弓きのおゆみ大伴室屋大連おおとものむろやおおむらじに言った。

『私は微力ではありますが、謹んで任務を承ります。しかしながら今、私の妻が亡くなったばかりで、後を見てくれる者がおりません。あなたはどうかこのことをつぶさに天皇に申し上げてほしい』と。

 天皇は、それを伝え聞いて、悲しまれ、新しい妻として吉備上道采女大海きびのかみつみちのうねめのおおしあまを紀小弓に与えられた。そして小弓は新羅に発進した。


 紀小弓宿禰らは新羅に入り、行軍中も近辺の郷を奪い取った。新羅の王は夜に、倭軍が王都の四面に鼓と声で騒ぐのを聞き、倭軍が㖨《とく》(新羅の地)をことごとく占領したのを知り数百の騎馬と乱れて逃げた。

 小弓は追いかけて敵の将を敵の陣の中で斬った。しかし新羅は体制を整え、残兵は降伏しなかった。小弓は傷ついた倭の兵を整え大伴談連おおとものかたりのむらじの指揮する軍と合流した。この夕べに大伴談連・紀岡崎久目連は力つくして死んだ。その後にかたりの連の従者、大伴津麻呂おおともつまろは戦地に入って主の談を探しても探せず「わが主人の大伴公はどこにおられるのでしょう」と尋ね歩いた。人は津麻呂に『汝があるじらは、敵の手の為にころされた』と言って、死体のあるところを指し示した。津麻呂はそれを聞いて地団駄踏んで叫んで言った。『主はすでに亡くなられた。どうして一人生きておられようか」津麻呂はふたたび敵中に行って共に死んだ。しばらくのち残された倭兵は退却し始めた。また大将軍紀子弓は病にかかって亡くなった。




 

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