書紀に見る新羅侵略
天皇は群臣に言われた。「それでは歓因知利を弟君らに添えて百済に遣わして書を下して優れた者を献上させよう」と。弟君は命を受けて、衆を率いて百済に行った。そこの国つ神が老女に化けて道に現れた。弟君はこの先が長いか短いかを尋ねた。老女は答えて言った。「もう一日・・・これは江戸時代中期の書紀研究書である日本書紀通証に一月とあるらしい。そりゃあそうだ道のりが一日と聞いてあきらめる方がおかしいものな・・・もう一月歩いて、やっと着くでしょう」弟君は道が遠いと思い新羅を討たずに帰った。・・・書紀にはこんな変な文書が残されていて、それが書紀の正本として流通していることは驚きだな。僕の利用してる本、岩波文庫の日本書紀と講談社学術文庫の宇治谷孟氏の現代語訳日本書紀には、ともに[一日]として平然としているのは首をひねるね。日本書紀は重要な本なのだから、訳にはもう少し情熱を持って貰いたいと思うのは僕だけだろうか?岩波文庫には[一日]という文に注釈が附いていて、[通証に当作月]と、書いてあるだけで、ものすごく不親切だよ。通証がどのような本であるか、どのように書かれているかもう少し丁寧に書くべきじゃないか。岩波文庫書紀は校注に坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋と言った著名な人々があたっているが、この程度のできなんだよね。
戻った弟君は、百済から提供された新来の工人とともに百済もよりの大島に集めて風待ちという理由をつけて長く逗留すること幾月にも及んだ。
任那の国司、田狭は子の弟君が新羅を討とうとせずに戻ったことを喜んで、任那から百済近辺の大島に秘かに使いを出した。そして伝えた。
「お前の親方は何の理由があって私を討つのだろうか。伝え聞けば、天皇は私の妻を奪って、すでに子供を作ったという。今に禍が身に及ぶ事は明らかだ。わが子たるお前は百済に留まって日本に帰るな。自分も任那に留まって日本に帰らない」