佐伯さんの作った夕食 四
「武寧王と日本の関わりは詳しくは不明だが、しかし、日本との関わりを示す歴史的史料がもうひとつある。国宝である銅鏡『人物画像鏡』だ。これは去年(2011年)僕も、東京国立博物館でガラスケース越に、じっくり観察させてもらったものだが、青銅製直径19.9㌢の鏡だが大変作りの美しい銅鏡であると感じたね。この銅鏡は和歌山県隅田八幡神社で発見されたものだが、かなり古い時代に出土したものらしいが正確な出土年代や出土地は不明な様だ。鏡に王や王女などの人物が描かれているので名付けて『人物画像鏡』と言うのだ。この鏡には手で彫った文字も記されている。銅鏡は幾つも複製できる物で、砂や粘土に銅鏡面を当てれば、踏み返し(コピー)ができる。ただし現代の職人の言葉に依れば、鋳型は絶対一度しか仕えないと言うことだから元鏡→コピー→コピー→コピーと続けて行くと像がぼやけてくる。僕の見た限りでは、この『人物画像鏡』は像の縁が切り立っていて元鏡の様に思えたね。この鏡と同じ人物文様の鏡があるそうだが・・・僕は確認していないんだが・・・この『人物画像鏡』とは文様が裏返しになっているそうだ。祐司君も自分の名前をハンコにしたことがあると思うが、その場合、名前を薄い透き通る紙に書いて、ハンコに裏返しに貼り付けて彫るよね。そうして彫らないと字が反転してしまって意図した文字にはならないことは解るよね。これから考えてみればこうだ。今ここにハンコがある。ハンコを粘土に押し当てて、ハンコの鋳型を作るならば、出来上がったハンコは文字も反転せずそのまま使える。『人物画像鏡』と『類似画像鏡』の人物像が反転していると言うことは、恐らく、木型であったであろう原版を作るとき文字は正文字で造形したが、人物像はすでにある画像鏡から墨などで刷り移して、それを彫ったという事ではないかな。すると画像だけが反転するよね。こう考えると多くの酷似画像のことごとくが反転画像であると言うことは、『人物画像鏡』のみがコピーではなく独自に彫られた物であることを示しているんだね。これは一体何を意味しているのだろうか?切り立ったエッジ、複雑な文章から考えると人物画も文字も新たに刻まれたものではないかな。文字を書き込まねばならないから、人物像を彫らねばならなかった。その場合、画像も反転させて彫り込まないと他の鏡と像が反転してしまうが、なにせ文様みたいなものだからあまり差し支えはない。というので、紙の反転文様のままそのままに彫り込んでしまった。・・・ということかも知れないね。つまり、その他の画像鏡と『人物画像鏡』は、コピー関係ではないと言うことだね。
『人物画像鏡』は僕の見た限りでは、とても美術的に高度なものだ。だから優れた工房の手になるものなのではあるまいか?・・・しかしながら、創作過程に安易な手法が見られると言うことは、後世の捏造の鏡であるとも思える。 さて、画像鏡に書かれた文書だが次の様だよ。
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今洲利二人等取白上同二百旱作此竟
田沼訳 癸未の年(おそらく503年)八月 日十大王年の時、 男弟王が意柴沙加宮に在る時、斯麻は長寿を念じて開中費直穢人、今洲利二人を遣わして、白上銅(上質の銅)二百旱 をもってこの鏡を作った。
なにしろ、ただ漢字が連ねてあるだけだから、こういう意味であろうなという推測に過ぎないのだけれど、僕の考えでは、継体王が実力を持ちながらも混乱のため、天皇(大王)としていまだ即位しない503年、武寧王が継体王に長寿を願って、河内直穢人らに銅鏡を作らせた。と言うことなんだろうね。開中費穢人は、書紀・任那の記事ににしばしば出てくる河内値の一族だと思うのだ」