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倭国の新羅侵略年表 一

 田沼が、自宅のリビングで三国史記に目を通していると、祐司がやって来た。その後ろに四十代の和服の女性がついて来ている。オヤという顔をする田沼に、祐司は言う。

「お帰りなさい。こちらは、前に頼まれていた、食事とお部屋の掃除していただく佐伯さんです。佐伯容子さんは、ご主人を亡くされてから校正の仕事をなさっていたんですが、詩人の田沼遼がお手伝いさんを求めているという話を私から聞いて、田沼先生ならと興味をもたれて今日ここに来ていただけたんです」

「ああ、その事!僕が田沼です。そんな安い賃金でやってくれる人はいないだろうなと、思っていたのでありがたい事です」

「いいえ。私、田村先生のファンなもので、嬉しいです」

「ファンですか!あなたのような美しい方が僕のファンですか。光栄です」

「ほほ、美しいだなんて、お世辞が上手ですね」

「本当ですよ!・・・まあよろしく、お願い致します」

「コーヒーでもお入れしましょうね」

 

 佐伯容子は、キッチンの方に歩いていった。田沼は祐司に言った。

「本当に綺麗な人だなあ、五十才ぐらいな人で良いよと言ってたのに随分若いじゃないか、なんか色気に惹かれて仕事に手がつかなくなりそうだよ」

「あの方は五十才になられてますよ!それで良いかなと」

「へえ、あれで50才。いまの50才は若いね!」

「・・・ところで、飛鳥の旅行は成果がありましたか」

「そう。大成果だ。飛鳥時代の大和王朝の規模の小ささが実感できたという事だね。広開土王碑文にある、『倭がやって来て百済 □□ 新羅を臣民とした』というのは飛鳥時代からさらにさかのぼること200年だからね、この飛鳥の実態と整合しないと思ったね。・・・それでね、今は、三国史記に見える倭国の侵略を確かめようと取り組んでいるんだ。それはこうだった。(と、田沼は再度手帳を取り出して読んだ) 


 紀元前50年 倭人が出兵し、新羅の辺境に進入しようとしたが、新羅の始祖には神のような威徳が」あると聞いて引き返した。(新羅本紀)

 新羅の重臣瓠公(ここう)はその出身の氏族名を明らかにしていない。彼はもともと倭人で、昔(ひょうたん)を腰に下げ、海を渡って新羅に来た。それで瓠公ここう(瓠はうりの意)と称したのである。(新羅本紀)


 西暦14年 倭人が兵船百余隻で海岸地方の民家を略奪した。そこで六部の精鋭を動員してこれにあたらせた。(新羅本紀)


 西暦59年 倭国と国交を結び、互いに使者を交換した。(新羅本紀)


 西暦121年 倭人が東部の辺境に進入した。(新羅本紀)


 西暦122年  王都の人たちは、倭兵が大挙して攻めてきたという流言に先を争って山や谷に逃げ込んだ。(新羅本紀)


 西暦123年 倭国と講和した。(新羅本紀)


 西暦173年 倭の女王 卑弥呼が使者を送って来訪させた。(新羅本紀)


 

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