第7話
この先へ進むべく、俺は目の前の二人に歩みを進めた。
同時に奴らもこちらへと歩み寄ってくる。
「なんだ、お前? 俺ら二人に勝てるとでも思って……い、いででででっ!」
奴の声が裏返る。
掴もうと伸びてきた腕を逆に取り、俺はその手首を軽く捻っただけだった。
それだけで、男は悲鳴を上げて地に沈む。
「ざ、ざけんなっ! お前なんかにやられてたまるもんかっ!」
二人目も俺に迫る。
そして今まさに殴りかかろうとしてきた。
拳を向けるということは――
戦う覚悟があるってことだよな。
「グハッ!」
二人目、俺は【霊甲】による拳を放った。
壊さず、折らず、ただ立てなくすることだけを狙った一撃。
殴り飛ばすわけではなく、胸骨辺りに軽く当てただけ。
それだけで、男はその場に崩れ落ちた。
特にこれ以上は攻める気もない。
とにかくこれで二人は退いた。
よし、先に行くか。
「ま、まて……っ!」
手を捻って、倒れた男。
彼は震えた声で、俺の足を留めてきた。
「なんなんだよっ! お前……本当にあの、空木廻なのか? 」
彼が俺を見る瞳――それは怯えた目であり、疑いの目でもある。
そんな猜疑的な眼差し。
「……ちょっと、訓練しただけだよ」
俺はそう言い残して、歩みを進めた。
廻としての回答はこんなところだろう。
それに、直接的な自信の表現もしていない。
少し控えめな――いわゆる謙遜的な文法というやつ。
これで嫌味な感じじゃなくなったはず。
さっそく澪から学んだことが役に立ったな。
そして二人はこれ以上俺を追う様子もない。
今もその場でへたりこんだまま。
どうやら戦意を失っているようだ。
よし、これで奥へ進める。
俺はさっそくその先へ足を進めた。
ガチャッ――
そしてその空間へ足を踏み入れた瞬間――俺は息をのんだ。
「……澪」
小さな背中がうずくまっていた。
あの強く、明るい彼女が。普段なら絶対的な自信を身にまとい、堂々と胸を張っているそんな彼女が、今はただそこに、ぽつんと膝を抱えて座っていたのだ。
そして、京士の気配はもうない。
「……澪、ちゃん?」
問いかけに、澪はすぐに答えなかった。
けれど、顔を上げた彼女の目元には、うっすらと涙の跡が残っていた。
それを見て、何が起きたのか――いや、何をされたのか、なんとなく察することができた。
俺は彼女の隣に腰を下ろす。
しばらくして、ぽつぽつと、澪が語り始めた。
「……待ち伏せ、されてたの。白影京士と……あと、二人に」
声が震えている。
「あたしが倒したモンスターの……水晶玉、全部……取られちゃった」
彼女は唇を噛みしめながら、俯いたまま続ける。
「アイツは、それを持って、先に……ゴールに。転移……したの」
ぽつり、ぽつりと、言葉がこぼれる。
「試験……通りたかったのに」
そう言い終えた後、小さな嗚咽が混じり始める。
彼女の頬を、また一粒、涙が伝った。
その涙には、彼女なりの努力と、悔しさと、無力感が詰まっている。
こんな思いをさせるために、この選抜試験があったのか?
……違うだろ。
だったら――俺が、やることはひとつだ。
「もう一回、全部倒しに行こう!」
俺は静かに言った。
「まだ終わってない。この試験は、まだ終わってないんだよ」
澪は驚いたように顔を上げる。
「……っ。でも……」
彼女はスマホを取り出し、俺に画面を見せてくる。
その表示には――
『合格者:八名』
残りの枠は、あと二人。
「もう間に合わない。今から三体倒してる間に、残りの枠、埋まっちゃう……」
そう言って、彼女はまたうつむいた。
だが――そんな顔をさせるために、俺はここにいるんじゃない。
これは廻としてだけじゃなく、俺の中の白影柊真としても――そう思う。
まだだっ!
彼女のために何か、できることがあるはず。
何か――何かあるはずだ。
俺は思考を巡らせた。
タッタッ――
そんな時に背後から足音。
「え、えっと……先、行くね?」
一人の女子生徒だ。
彼女は転移ゲートに向かって一直線。
俺たちの方へチラチラと視線を送りながら、眉を寄せ少し申し訳なさそうにゴールをくぐっていった。
『合格者:九名』
おそらくスマホの表示にはそう記載されている。
……残り、一人だ。
これでもう、俺と澪が二人同時に合格する可能性は完全に抹消された。
そして今ここには俺と澪、そして合格に必要なドロップ品が一セット。
ここで俺がとるべき答え――
「……これ、持ってってよ」
俺は手にしていた水晶玉を、そっと澪に差し出した。
驚いたように目を見開く彼女。
震える唇が、何かを言おうとして、何も言えないでいる。
「なにしてるの!? これは廻が一生懸命手に入れた、努力の証でしょ? そんなの……受け取れないよ」
ようやく思ったことを言葉にできた彼女へ、俺は軽く微笑んでみせた。
「いいんだ、僕は別に。このゴーレムの玉だって、実はたまたま拾ったんだ。そんなの実力じゃないし、この先あるダンジョン演習になんて今の僕じゃ、きっとついてけないよ」
これはまぁ、当然嘘だが……廻として認知されている言動と実力に見合ったものだ。
泣いて、うずくまって、でも悔しくて……それでも諦めたくなくて。
そんな彼女の姿を見てしまった以上、俺はこの選択がベストだと思った。
「だから澪ちゃん……行って!」
そっと、ポケットに水晶玉をねじ込む。
彼女は戸惑ったまま、ポカンと俺の顔を見つめていた。
「でもそれじゃ、廻の夢は……」
「大丈夫だって。僕の実力じゃ試験は受からなかった。それだけなんだよ。次はもっと修行して、必ず自力で合格してみせるさ!」
「……」
しばらくの沈黙。
目を瞑って澪が考えをまとめている間、俺はある気配を感じた。
【マッピング】による空間把握――
もう二つ、三つほど部屋は離れているが、急いでここに向かう生徒の気配。
これじゃ残り一人の枠が埋まってしまう。
「澪ちゃん、急げ! 最後の枠が埋まる前に!」
澪は俺の呼びかけにハッとした。
そして涙をこらえていた顔が一気に引き締まる。
「……ありがとう、廻っ!」
タッタッタッ――
この部屋に迫るであろう足音。
すぐ傍にきたのだ。合格を目指す他の生徒が。
「澪ちゃん!」
「廻……いってきます!」
決意を固めた澪の行動は早い。
彼女は一目散に駆けていく。
重力を操れる彼女にとって、素早い動きはお手の物。
自分の重さを最大限軽くしてから、地面を強く蹴り込んだ。
澪は空を切り裂くように、一瞬でゲートをくぐっていった。
「いってらっしゃい。澪ちゃん」
もちろん俺の声などもう届いてない。
だけど彼女を、ハンターとしてのスタートラインに立たせることはできた。
今はそれだけで十分だ。
しかし俺自身、今回のダンジョン演習には参加できなくなってしまったな。
……いや、待てよ?
どうにか、なるかもしれない。
退魔師の持つ、あの力を使えば。
こっそり忍び込むくらいは……。
ブーッブーッ
スマホの着信音。学校側からの一斉メッセージだった。
『合格者十名、揃いました。試験を終了致します。出口ゲートが近い場合は、そこからただちにお戻りください。それが困難な場合は、五分後に自動で転移するため、安全な場所でお待ちください』
五分、か。
それだけ時間があれば、問題ないな。
空木廻の肉体で可能かどうかは未知数だが……やってみる価値は、十分にあるだろう。
* * *
ブーッブーッ
『お待たせしました。準備が整いましたので、実習室へ戻ります』
よし。こっちの準備も、整った。
あとは本当に忍び込んでいいものか、だが……。
まぁ、それは後で考えよう。
とりあえず、まずは――実習室へ戻ろうか。
足元に、淡く光が灯る。
ふっと、体が軽くなる感覚。
皮膚の隙間から光の粒が滲み出すように広がり、
やがて俺の全身を、静かに包み込んでいく。
空間が、きしむように歪んだ。
そして――視界は、純白に染まった。




