第2話
「……ちっ、また来やがったか。めんどくせぇ」
俺の目の前に立つ彼女に対して、京士は不機嫌そうに目をそらす。
「めんどくさいって何? あなたが、いつもいつも廻をイジめるからでしょ?」
「別にイジめてなんかいねぇよ。ただちょっとだけ空木を鍛えてやってんだろうが」
「何が鍛えるよ! 二人がかりで彼を押さえつけておいて、そんな言い訳が通用すると思ってるの? 廻をいじめるのなら、たとえ白影家でも、私がアンタを許さないから!」
それからしばらく沈黙が続いた。
京士は依然として口を閉じたまま。
返す言葉もないというよりか、言い合うのも無駄、そんな煩わしさを感じてるようだ。
「……はぁ。もういい、いくぞ」
ようやく口を開いた白影京士は完全に呆れ口調。
この場から踵を返し、そのまま取り巻き二人を連れて教室を後にしていった。
「ちょっと廻、また白影京士にイジワルされたの? ったく固有スキルで外傷はないかもだけど、実際は心も体も痛いのに。……ねぇ?」
彼女はそう言って、俺の頭をヨシヨシと撫でてきた。身長がほとんど変わらないため、易々と手を乗っけてくる。
桐島澪――
空木廻の幼馴染であり、今は隣のクラスの同級生。
昔から気の弱かった廻を、いつも守ってくれていたお姉ちゃん的存在である。
ハンターとしての素質も随一で、そのハンター学校でも常に戦績トップレベルだ。
特に彼女の持つ固有スキル〈天秤の禊〉はこの世の重力を操る力。
相手の動きを遅めたり、自分の動きを速めたりと戦闘手段は多種多様。
それに加えて近接戦闘のセンスもピカイチなので、入学早々学年トップに躍り出ることができた。
今でもこうやって俺を助けてくれるところは、彼女の強い正義感が為せることなのだろう。
「廻? ねぇ聞いてる?」
「え、あぁ。ありがとう、澪」
「え――今、澪……澪って言った!?」
俺が一声あげただけで澪は目を丸くする。
それ以上の言葉が出ない、そんな様子。
なぜそんなに驚くんだ?
と一瞬思考を巡らせた時、ふと気づいた。
今の俺は空木廻なのだと。
かつての白影柊真ではないのだ。
さっきの口調は明らかに廻ではなかった。
彼女への呼び名もその一つ。
昔、俺が生きていた時代には『ちゃん』や『さん』など、こういった敬称は存在しなかった。
あったとすれば、目上の人に『様』をつけるくらい。
俺の立場……つまり白影家の当主としては、敬称で呼ばれはするものの、呼称することなど今まで一度もなかった。
だからこそ慣れない文化ではある。
しかし今の俺は空木廻として、現代に住まう一人の人間だ。
ならばこの現代日本の流儀とやらにできる限り従うべきだろう。
「澪、ちゃん。ありがとう」
と言い直すと、彼女はホッと胸を撫で下ろす。
「はぁ、びっくりしたぁ……。なんか突然雰囲気が変わって、声色もいつもと違うかったから」
「あ、いや、大丈夫。いつも通りだよ」
「そう、ならいいけど。……ってそうだ、それより! みんなもみんなだよ! 同じクラスメイトがイジメられてて、止めようとは思わなかったの?」
澪は改めてこの教室のクラスメイトへ目を向けた。
「……いやだって白影くんに逆らったら、ハンターの世界じゃ生きていけないもん」
「彼のお父さん、ハンター協会の副会長だろ? 目をつけられたら、ギルドに入るどころかクエストだって受けられなくなる!」
「そうだそうだ!」
そう、だからみんなは空木廻のイジメを黙認していたのだ。
三百年前には存在しなかったハンター協会。
ここではハンターが円滑にダンジョンを攻略できるような仕組みになっている。
クエストの受注から、ダンジョンへの階層転移まで。この学校の運営だってそうだ。
つまり現代のハンター社会というのは、ハンター協会ありき。
むしろ協会なくして、ダンジョンへ挑むことができないのだ。
――というのが、15年間生きていた空木廻としての現代知識である。
「……もういい! 廻、いこっ?」
クラスメイトの様子に澪は大きく溜息を吐いたのち、俺の手を引いてこの教室を去ろうとする。
「おぉっ!? えっとどこに?」
「どこにって、もう授業終わってるでしょ? 帰るのっ!」
あ、そうか。今はもう放課後だった。
あとは家に帰るだけ……って俺はこのまま空木家に帰っていいのだろうか。
まぁちゃんと帰らねば、父も母も俺を心配するだろうし、結局帰る以外の選択はないわけだが。
なんてことを考えつつ、俺は澪に手を引かれたままこの学校を後にした。
* * *
「廻、来週の試験だけど、本当に受けるつもりなの?」
家路の途中、澪から突然の問い。
「え、何が?」
そう聞き返した俺の声のトーンに、澪が眉をひそめる。
彼女は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「何がって、そんなの選抜試験に決まってるじゃない。ダンジョン二十五階層でのアイテム採取!」
あ、そういえばそんな話があったな。
たしかこの学校は定期的にこういったダンジョン研修があるんだとか。
そして合格した者には、現役のハンターとであればダンジョンを探索することができる『仮免許』というのが発行されるらしい。
「あぁ。おr……ぼ、僕も、受けるつもりだよ」
くそ、この十数年、空木廻として過ごしてきたはずなのに、どうしても口調が白影柊真になってしまいそうになる。
「虚の器だけでどうやって戦うの? 廻が家族のために頑張ってるのは知ってる。けど……やっぱり危ないよ」
澪は、少し変わった俺の口調など気にも留めず、真っ直ぐな眼差しで訴えかけてくる。
強い固有スキルこそ『最強』とされるこのハンター社会で、俺は特別『最弱』な部類。
戦うことすら許されない存在だ。
……それでも、ハンターになるのは空木廻が昔から描く夢だった。
体が弱く、働けない父親。
その代わりに休む間もなく働く母親。
まだ中学生の妹と俺の四人家族。
決して裕福ではないどころか、貧困に近い家庭環境で育ったのが空木廻という男。
父には相応の医療を受けて欲しいし、過労な母には休んで欲しい。
妹だってこれから先、高校に通うことになる。
その先も大学にちゃんと通って、自分の人生を精一杯歩んで欲しい。
そんな廻の願いは、全てお金があれば解決するものばかりだ。
ならば稼ぐしかない。
普通の人なら難しいかもしれない。
しかし廻にはそれが可能になる器が備わっていた。
ハンターになり得る力、固有スキル。
どうもこの世界で固有スキルに目覚める人間とは、かなり稀有な存在らしい。
たしか世界でも一万人に一人の割合だとか。
ただ遺伝的な要素もあるため、ハンター自体の母数で言えば、三百年前と比べればかなり増えているようだが。
しかし固有スキルを持って生まれたからといって、全員がハンターになるわけでもない。
今やその力はダンジョンの攻略だけでなく、武器を作る鍛治師やハンター医師、ダンジョン内の情報を取り扱うサポーター的な面でも活用されている。
その中で純粋にハンターとしてダンジョンで戦うのは、よくて十人に一人……いや、もっと少ないのが今の現状。
だからこそハンターは国家レベルで求められているのだ。
もちろんその教育機関、つまりハンター学校は無償で通えるし、入学にも難しい試験などない。
つまり自分の頑張りだけで、ハンターになれる。
舞台は全て、整うべくして整っているのである。
「澪ちゃんになんと言われようと、僕は受けるよ。選抜試験」
俺は空木廻としての本心を口にした。
きっと前世の記憶が目醒める前の自分でも、こう答えただろうと想像しながら。
この選抜試験は空木廻にとって、そして白影柊真にとって、目指す夢への第一歩になるだろう。
廻は、家族を支えるためにハンターになる。
柊真は、前世で果たせなかったダンジョンの最深層へ辿り着く。
動機も目的も違う。
けれど――どちらも、その一歩はダンジョンから始まっている。
スタートは同じ地点なのだ。
「廻、本気なんだよね?」
「もちろん。絶対に受かってみせる」
「……昔はあたしに守られるだけの小さな男の子だったのにね。それがもうこんなに逞しくなっちゃってるとは」
澪はそう言って優しく微笑む。
「……わかった。廻がそういうなら、あたしはもう一切口出ししない。心配もしない。あたしは、あたしの夢を、全力で叶えることにするわ」
「澪ちゃんの夢って?」
「もちろん、ハンター学校首席で卒業よ」
ハッキリと、言い淀むことなくそう答えた。
それは澪がこのハンター学校に入学する前からずっと言っていること。
一切曲げることなく貫けるその信念、やっぱり彼女は強い人だ。
「澪ちゃんはやっぱりすごいね」
「廻だって立派なハンターになって、家族を守っていきたいんでしょ? それだって同じくらいすごいことだよ!」
「……ありがとう、澪ちゃん。お互い、頑張っていこうね」
嬉しかった。
いつも先を進んでいた澪と、同じ土俵に立って歩んでいけることが。
これは間違いなく廻の感情。
白影柊真ではなく、15年生きてきたこの肉体が感じるもの。
なんて感情を抱くってことは少なくとも俺の心に、廻と柊真の二人が上手く共存しているということだろう。
「うん、あたしも頑張る。絶対……トップで卒業して、ハンター協会へ入社する。それで……こんなハンター社会を、あたしが変えてみせるんだから!」
揺らぐことない澪の瞳。
彼女の本気度は、それだけで伝わった。
「澪ちゃん……」
「ううん、大丈夫。今は……試験に集中、だよね」
澪は抱えた想いを振り払うように、首を大きく横に振った。
澪もハンター協会について思うところが色々ある。
それはずっと彼女のそばにいた俺が、一番よく知っていることだ。
だが……入学して初めての選抜試験が差し迫っている今、彼女にとって辛い過去を、わざわざ掘り返すこともない。
澪のいうとおり、今は試験に集中だ。
「澪ちゃん、試験頑張ろうね」
「……うん」
澪が微笑みながら手を差し出す。
俺も応えるように、ぎゅっと握り返した――夕空の下、俺たちは静かに誓い合ったのだった。
* * *
あっという間に日は進み、選抜試験当日。
会場にはすでに数十人の生徒が集まっていた。
たしか選ばれるのは、一年の中でたった10人。
そして今回の試験では60人以上の一年生が参加すると聞いている。
廻は深呼吸をして、一歩、足を踏み出す。
これが空木廻の……白影柊真の夢の第一歩になる。
だからこの試験、必ず合格してやるんだ。
そんな覚悟ともいえる強い気持ちを抱えて、俺は選抜試験に挑むのだった。




