第12話
――これは夢なんかじゃない。
現実だ。確かに、俺が澪を助けに来た。
そう言い聞かせるように、俺は気を失った彼女の閉じた瞼を見つめる。
けれど、ここにたどり着くまでの経緯を話すなら、少しだけ過去に遡らなければならない。
* * *
時間にしてほんの30分ほど前。
一年一組の教室では――
俺たちが見ていたのは、ダンジョン演習のリアルタイム映像。
壁一面に映し出されたスクリーンには、三つの探索グループの視点が、三分割で同時に映し出されていた。
各画面に映るのは、モンスターとの激戦や、徐々に息の合っていく連携プレイ。
見応えは十分で、教室には緊張と興奮が入り混じった空気が漂っていた。
こうして他人の戦闘を、客観的に見守るという経験は俺にとっても初めてで――
正直、思っていた以上にハラハラしてしまった。
だが、そんな中。
たった一つの画面だけが、徐々に不穏な空気を帯び始める。
そう。澪たちのグループだった。
そしてそれは、ちょうど彼らがアストラカリスを追って、崖の前に辿り着いた時のこと。
京士が崖を登り、澪が崖を飛び越えた後、崖のふもとに一人残されていた久世詩音。
彼女は不安げに空を見上げ、何かを待つように静かに佇んでいた。
その姿を、少し離れた位置から捉えた撮影用ドローン。お嬢様らしい整った容姿だからこそ、かなりの画になっている。
しかしその表情、画面越しからは全く読み取ることができない。
そんな中、詩音は突然【インベントリ】から、マッドデーモンを倒した一振りの槍を取り出した。
それで、彼女は何をするのか?
崖を登るのかと、教室にいる多くの生徒はそう予想していた。
しかし詩音は動かない。
槍を持ったまま、じっと何かを待つように静かな様子で佇んでいた。
ドローンはぐるりと視点を変えた。
そして撮るべき物を思い出したかのように、澪、京士の進んだ道へ空を駆け出したのだ。
その瞬間――
「ご、ごめんなさい……!」
静寂とした空間だったからこそ、教室にまで届いた声。
直後―― ドローンのカメラが乱れ、まるで何かがぶつかったように強制的に映像が途切れた。
いつまで経っても、三分割中の一画面は暗転したままで元には戻らない。
「先生、どーなってるんですか! 京士さんグループの映像が急に途絶えたんですが!」
一人の生徒が声を上げる。
「……神楽木先生に状況を確認する。少しだけ、待っていてくれ」
事態を重く見た担任はすぐさま教室を飛び出した。
落ち着いた口調だが、足取りは速く忙しない。
彼も内心焦っていたのだろう。
それから生徒だけが残された教室は、騒然としていた。
「なにがあったんだ?」
「あの子が壊したってこと?」
「いやまさか、そんなこと……」
憶測が憶測を呼び、ガヤガヤとした空気が満ちていく。
だけど俺は、別のことで頭がいっぱいだった。
それは――澪の異変。
彼女の影に潜ませておいた霊力が、明らかに弱まりをみせ始めたからだ。
俺は選抜試験の時、ある策を講じていた。
京士と澪のことがあったから、念には念をということで。
それは、かつて退魔師が使っていたある力。
【契約の儀】である。
これは名の通り、主とモンスターの間に行われる主従の契約。
俺はその儀式を、あの擬似ダンジョンで戦ったクラグ・ジャッカルに施したのだ。
儀を終えたモンスターは、霊体となり主の一部と化す。
もちろん当時の術と比べれば、精度はかなり低い。召喚できるのも、一度きりだ。
そしてダンジョン演習前、俺はそのクラグ・ジャッカルを、こっそり澪の影にコッソリ忍ばせていたのである。
今、その力が一気に弱まった。
人に潜ませた霊体は、その本体と魂が共有される。
つまりこの霊力の弱まり――これは単に時間が切れたとか、距離が離れすぎたとか、そんな問題じゃない。
彼女の身に、何かが起きた。
それしか考えられないのだ。
ダッ――
その確信を胸に、俺は勢いよく机から立ち上がる。
「空木くん、どうしたの?」
「あ、えっと……ちょっと、トイレに」
隣の女子生徒からの問いを軽く受け流し、俺は急いで教室を出た。
そう言って教室を出た俺は、迷うことなく階段を駆け下りた。
目指すのは、校舎裏の静かな空き教室。誰にも邪魔されず、力を使える場所。
扉を閉めると同時に、俺は迷わず術式を展開する。
「――【契約転位・影翔の印】」
俺が契約した召喚体……つまり澪の影に張り付いたクラグ・ジャッカルの霊体そのものを犠牲にすることで可能となる、霊的転移。
それは、使い魔のいる場所――すなわち、澪の元へと術者が転移する術だ。
「澪……待ってろよ。今、助けにいく」
足元に浮かび上がった紫の方陣が眩い光を放つ。
俺はその中へと、飛び込んだ――
* * *
――というのが、ここまで来るまでの経緯。
俺は澪が追った怪我を治すべく、霊力を使った回復術式【霊繕】を施す。
とはいっても負傷した部位に手をあてがい、霊力を込めるだけ。
この回復術式は、人の自然治癒力を高めたり、傷口に対して切った貼ったをするわけではない。
元の状態に戻す――というのが正確な過程。
これは時間的概念を覆してしまうほどの事象。
使っている自分ですら、なぜそんなことが可能なのかは分からない。
それでも理由を答えなければいけないのならば、俺はきっと――霊力だから。
そう答えるだろう。
「空木ィ! なんでこんなところにいんだよっ! それに……なんで――お前が霊力を……」
その姿を見た京士が、荒々しい声で俺を呼んだ。
焦りか、それとも苛立ちか。
目を血走らせたまま、京士は俺を睨みつける。
いくら退魔師の血が薄いとて、彼は一応白影家の血を引く者。
こんな距離で霊力を行使すれば、さすがに俺の中の霊力を感じ取ったようだ。
「……この場を映す撮影ドローン、実はもう壊れてるんだ」
「あぁ? 何の話だ?」
キレ気味に眉を吊り上げる京士。
しかしコイツの機嫌が悪かろうが、自分には全く関係のないこと。
俺は構わず話を続けていく。
「だから今、俺がお前をぶちのめしても……誰にも見られないってことだよ」
空気が、一瞬で張り詰めた。
「テ、テメェ……いつの間にそんな口利けるくらい偉くなったんだ!? 一体お前が……どれだけ強くなったって言うんだよ!」
顔を真っ赤にして吠える京士。
けれどそんな言葉すら、今の俺には全くもって響かない。
「……そんなものは、お前が身をもって知ればいいことだ」
今の時代で白影家がどれほど地位の高い存在なのか、そんなものは関係ない。
これは、少なくとも俺が望んだ白影家の姿じゃない。
弱い者を平気で踏みにじり、
権威で全てのハンターを黙らせ、
威厳を保つためなら手段を選ばない。
そんな連中が、ハンターの中心だなんて――冗談じゃない。
昔のハンターに劣って当然だ。
こんなものが今のハンターだと言うのなら、この腐った世界が、これからも続いていくのなら――
俺が全てを壊してやる。
白影家も、退魔師の血族も。
そして――
ハンターという名の傲慢な存在そのものを。
俺は静かに一歩、また一歩と、京士の元へ足を進めていくのだった。




