第1話
ここは僕、空木廻が通う高校――世間一般的にはハンター学校と呼ばれている場所だ。
「空木ィ、もう一発いくぞ。耐えられるよなぁ?」
ドスッ――
一年一組に響く鈍い音。
「うっ!?」
と重い一発が腹に直撃。
僕は後方のロッカーに背中を打ちつけた。
避けたかった。けど――無理だ。
怖いとか、そんな問題じゃない。
僕の両腕を押さえる二人がいる限り、この拳は避けられないんだから。
そして目の前にはこのクラス随一の実力を持つハンター、白影京士。彼はいつも僕を楽しそうに見下してくる。
まるで同じ生体だと思われていない、虫や獣を見るような目で。
クラスメイトの反応は主に三つ。
憐れむ者、無視する者、興味本位で覗き見る者。
これが僕、空木廻の変わらない日常というやつである。
「ったく、こいつマジで便利すぎんだろ。殴っても、殴っても、外傷一つできやしねぇ」
京士は心底愉快そうに口角をあげる。
「あはは、マジでサンドバッグの才能っすよね、空木は」
「けどよくここまで殴られても平気だよな、京士さんの固有スキル《鋼鉄竜》をこれだけくらってよ」
「こいつのスキル……何だっけ《虚の器》? あれ、ちょっとずるくないっすか? 攻撃ぜんぶ効いてねぇし」
「ずるい? こんなん、ただの防御特化のゴミスキルだろ。攻められねぇ、殴られるだけ。生きてても意味ねぇよ、マジで」
いつも僕をイジめる三人が言う固有スキル――これはハンターが生まれつき持つ先天的な能力。
個々の固有スキルは異なったものだが、基本どれもダンジョン攻略には欠かせないものだ。
例えば白影京士、彼の持つ《鋼鉄竜》と僕の《虚の器》がそれにあたる。
全身あらゆる部位に鋼鉄をまとい、攻撃から防御までこなせる京士の万能な固有スキルに対して、
僕は受けたエネルギーやダメージを吸収できるだけのろくに攻撃もできない固有スキル。
同じハンターでもこれだけ差があるなんて……理不尽な世の中だとつくづく思う。
「次はめいっぱい霊力を込めて、ぶん殴ってやる」
京士の鋼鉄まとった拳を、さらに上から白銀色のエネルギーが包み込んでいく。
「さすが白影家次期当主。最古の一族、退魔師の力は伊達じゃねぇ……」
「すげぇ、俺たちの魔力とは迫力も密度も全然違う」
「お願い! やめてよっ!」
あんなもので殴られるなんて冗談じゃない。
そりゃこのスキルのおかげで外傷はできないけど、痛みや衝撃まではなくならないんだ。
あまりの痛みにショックを受けて、死んじゃうことだって……。
「大人しくしろ、空木!」
「そうだ、お前は黙って京士さんの拳を受け止めればいいんだよ!」
二人はまた僕を乱暴に取り押さえてくる。これ以上動けないように。
そして白影京士が僕を殴りやすいように。
「次も耐えるんだぞ、サンドバックくんっ!」
振りかぶられる鋼鉄の拳。それが今まさに僕の顔に向かって放たれる。
怖い――。
「待、待って……ブフッ!」
恐怖以外の感情が沸き立つ前に、脳が激しく揺れた。
そして力の方向そのまま、勢いよくぶっ飛ばされた。
僕を取り押さえていた二人も一緒に。
視界がぐるりと回り、背中から床へ――強烈な衝撃が全身を襲った。
「京士さん、俺たちまでまとめてってひどいっす!」
「そうですよ。全く加減なしじゃないですか!」
「ハハハッ、わりぃわりぃ」
三人の軽口が聞こえてくるけど、僕は今それどころじゃない。
「それにしても……霊力ってすげぇっすね。でも京士さんの霊力と、俺たちハンターの使う魔力って何が違うんですか?」
「バカかお前、京士さんにそんなこときくんじゃねぇ。いいか? 魔力は空気中にあるもんだろ? 霊力は、なんかこう……自分の中から出す感じ、ですよね京士さん?」
「霊力ってのは自分の体内で作り出すもん……いわば生命エネルギーみたいな感じだ。ま、今となっちゃ滅んだ力とも言われてるがな。純粋な退魔師ってのも、もう存在してねぇわけだし」
「それだけ京士さんがレアな存在ってことですね」
「さすが、退魔師最強の家系、白影家の末裔……」
……痛い。
胸の奥が、焼けるように痛む。
息を止めた。指を握った。
けど脈打つたびに、もっと痛みが増していく。
誰かの声がする。
だけどそれは、遠い世界の音みたいに、ぼやけて聞こえてくる。
僕自身、深い闇に飲み込まれていくような。
そんな感覚が、今僕の体に渦巻いていった。
なんで……僕だけがこんな思いをしなくちゃいけないんだ。
僕はただハンターになって、普通の仕事よりちょっと収入をもらって……それで少しでも親を、妹を楽させてあげたいと思っただけなのに。
ろくに攻撃もできない固有スキルに、クラスメイトからただ殴られるだけの日々。
こんな僕に、生きる価値なんてあるのだろうか。
どうせこのままハンターになっても、すぐにダンジョンで死んでしまう。
ならいっそ、ここで人生リタイアってのも……。
負の思考が自分の中に巡る中、突然体の力がストンッと抜けた。
意識消失――
おそらくそんな感覚が僕の体に一瞬だけ襲いかかった。
だけどほんの一瞬だ。
そこからすぐに意識が戻った。
ぼんやりとしていた頭もハッキリと目覚めていく。だけどここで目覚めたのは意識だけじゃなかった。
頭の奥が――熱い。
映像が、流れ込んでくる。
記憶だ。
それも存在しないはずの記憶。
炎。
叫び。
剣を振り抜く自分。
闇の中、何か巨大なものと戦っていた。
……俺?
知らないはずの光景。
けど、それは確かに――俺だった。
そうか。
これは僕が空木廻として、生まれる前の記憶。
そして僕……いや俺『白影柊真』という人間が生きていた確かな証なんだ。
三百年前、かつて最強の名を欲しいままにしていた白影家。
そして歴代の当主の中でも最強と謳われ、その当時、未踏だったダンジョン八十層まで唯一たどり着いたのが――この俺、白影柊真である。
全てを思い出した時、体の奥底に火が灯った。
「たしか俺はあの時八十層のボスにやられて……」
そうか。
この体は生まれ変わった新たな肉体。
そして廻が通うのは、幸いにもハンター学校。
ダンジョンを攻略するための教育施設だ。
そう思うと心が自然と弾み始める。
前世、無我夢中でダンジョンを上り続けていた日々を再び味わうことができるなんて。
俺は――再び頂点を……ダンジョンの頂を目指すことができるのだ。
あの時、届かなかった場所へ。
今世こそ、必ず――
すると視界がクリアになり、騒がしい教室の声が戻ってきた。
「……で、結局お前らがハンターになりたい理由はなんなんだ?」
「え、俺っすか? そりゃ金持ちになりたいからっす。ハンターになれりゃ、ダンジョン内で採った魔石とか植物の実を売るだけで大金を手にできるんすよね? そんなの、なるしかないでしょ!」
「俺は女ですね。ハンターだって言うだけでモテそうだし!」
そして一際目立つ会話が耳に入る。
俺を……いや、空木廻をいじめていた連中だ。
俺はアイツらの話を聞いて、心底呆れた。
「……現代の奴らってのは、こうもハンターになるってことを履き違えてるのか」
ダンジョンってのは、そもそもモンスターが際限なく溢れる場所だ。
モンスターが増えれば増えるほど、ダンジョン内の魔素は乱れ、中の環境を狂わせる。
狂ったダンジョンは空間を乱し、現実世界との境界を完全に無くしてしまう。
つまりモンスターがこの現実に溢れかえってしまうのだ。
だからこそ、これまで魔力を使うハンターと、霊力を扱う退魔師、この二勢力が力を合わせてこの世界を守ってきたというのに。
コイツらは何一つ理解をしていないようだ。
「……あ? お前、今俺たちに刃向かってんのか?」
腕を掴まれる。京士の取り巻きの一人だ。
「えらく生意気な声が聞こえたけど、気のせいだよな?」
そしてもう一人も俺に掴み掛かってきた。
「……離せよ」
俺は低くそう呟き、掴まれた腕を軽く振り払う。
「ぐあっ……!?」
一人の男が吹き飛んだ。
「な、何だよ今の……」
もう一人が慌てて殴りかかってきたが、俺はその拳を掴み、空いたボディに蹴りを入れた。
「ぬるいな」
教室に、静寂が走る。
現代ではすでに退魔師は滅び、ハンターだけが繁栄をし続けている。
白影京士のような退魔師の家系も、今や『元退魔師』という称号を掲げたハンターに過ぎない。
三百年前は、両者に大した違いなどなかった。
あったとすれば、『魔力』か『霊力』かくらい。
なのになぜ――
こんなにも差が生まれてしまったのだ。
「お、おい空木……テメェ何してんだよ!」
京士の声に、俺はゆっくりと顔を向けた。
空木……そうだ、今の俺は空木廻。
そして白影柊真の力も、中に宿している。
ハンターであり退魔師でもある、唯一の存在だ。
「そんな俺にしかできないことがきっと……」
何かあるはずだ。
だからこそ――
まずは、この世界の全てを知る。
なぜ退魔師が滅んだのか、
現代のハンターが……現代のダンジョンが一体どうなっているのか。
知りたいことは山ほどある。
そのために俺は、空木廻という一人の人間としてこの世界で生きていく。
今、そう決めた。
「あぁ!? テメェ、一人で何言ってんだ? もっかいぶっ飛ばされてぇのか……」
そんな時――
「やめなさい!!」
鋭く通る声が、京士の声を遮った。
そしてこの教室全ての声が静まり返る。
「またアンタたち? いい加減にして!」
艶のある黒い髪、腰まで垂れる長いポニーテールの彼女。
睨みつけてくる京士に対して一切動じることなく、俺の前に堂々と佇む。
そんな彼女は、空木廻にとって幼い頃から互いを知る家族のような存在。
桐島澪――
いわゆる幼馴染というやつだ。
本作は公募用に投稿しました。
20話、キリよく読後感のいいところまで投稿する予定です。
同じく20話程度の作品を他にもいくつか投稿しますので、そちらも作者ページから拝読頂けると嬉しいです。




