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愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
終章:断罪の果てに

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第39話 残された世界

 冷たい雨が、降り止まない日だった。

 王都の中央広場にこびりついた赤黒い血痕は、雨水によって洗い流され、石畳の隙間へと消えていく。

 まるで、この国を覆っていた狂気と熱狂が、嘘のように冷え切ってしまったかのように。


 処刑が終わった広場には、もう誰もいない。

 あれほど「正義」を叫び、石を投げていた民衆たちは、祭りの後のような虚脱感を抱えて家路についた。

 残されたのは、解体されかけた処刑台の残骸と、雨に打たれる二人の影だけ。


「……行こう、ミア」


 ガルドが、絞り出すような声で言った。

 彼の大きな背中は、以前よりもずっと小さく見えた。その腕には、粗末な布に包まれた「亡骸」が抱かれている。

 引き取り手のない大罪人の遺体。

 本来なら、ゴミのように焼却されるか、荒野に打ち捨てられるはずのものだ。

 けれど、俺たちはそれを許せなかった。


「……はい」


 ミアが、力なく頷く。

 彼女の瞳からは、もう涙さえ枯れ果てていた。ただ、虚空を見つめる目は、かつての明るいドジっ子の面影など微塵もない。

 私たちは、泥濘(ぬかる)む道を歩き出した。

 誰にも見つからないように。ひっそりと。

 かつて「英雄」と「聖女」と呼ばれた二人が愛した、あの辺境の地へ帰るために。


***


 それから、三年が過ぎた。


 世界は、ゆっくりと、しかし確実に死に向かっていた。

 シルヴィアによる粛清と、その後の内戦によって、国の主要な機能は壊滅していた。

 農地は荒れ果て、飢饉が蔓延し、疫病が流行った。

 隣国からの干渉も強まり、国境付近では小競り合いが絶えない。


 「共和国」という名は残ったが、それは形だけのものだ。

 各地の有力者が覇権を争い、治安は悪化の一途を辿っている。

 人々は、明日の食事にも事欠く生活の中で、かつての熱狂を呪っていた。


「あの時、シルヴィアを殺さなければよかったのか?」

「いや、アレン様が生きていれば……」


 そんな「もしも」話が酒場で囁かれては、虚しく消えていく。

 誰もが後悔し、誰もが疲弊していた。

 それが、私たちが勝ち取った「革命」の成れの果てだった。


 北の辺境、ウィンスレット領。

 かつて黄金色の麦畑が広がっていた丘は、今は雑草に覆われている。

 屋敷は無人となり、蔦が絡まり、風雨に晒されて朽ちかけていた。


 その屋敷を見下ろす丘の上に、二つの墓標が立っている。

 雨風に晒され、少し傾いた木の墓標。

 そこには、名前すら刻まれていない。

 大罪人の墓など、作ることは許されないからだ。


 ザッ、ザッ、と草を踏む音がして、二人の人物が丘を登ってきた。


「……よう。久しぶりだな、二人とも」


 片足を引きずりながら現れたのは、ガルドだ。

 その顔には深い傷跡が刻まれ、髪には白いものが混じっている。

 彼は墓標の前に立つと、持ってきた安酒の瓶を開け、どぼどぼと地面に撒いた。


「相変わらず、ここは静かだな。……王都は相変わらず地獄みてぇな騒ぎだぜ。どいつもこいつも、自分のことばっかりで嫌になる」


 彼は苦笑し、墓石代わりの石に腰掛けた。


「なぁ、アレン様。……俺たちは、間違ってたのかな」


 独り言のような問いかけ。

 返事をするのは、風の音だけだ。


「あんたが命懸けで守ろうとした民衆は、今じゃあんたの嫁さんを『稀代の悪女』って罵ってる。歴史書にゃあ、シルヴィア様のことは『国を滅ぼしかけた魔女』としか書かれちゃいねえ」


 ガルドは拳を握りしめ、悔しげに顔を歪めた。


「俺たちは知ってる。あの方が、どれだけ優しくて、どれだけあんたを愛していたか。……狂っちまったのは、この世界の方じゃねえのか?」


 隣にいたミアが、静かに膝をついた。

 彼女の手には、小さな花束が握られている。

 シロツメクサ。

 かつて、アレンがシルヴィアに贈った約束の花だ。


「……シルヴィア様」


 ミアが、花を供える。

 彼女の手は、もう震えていなかった。かつて皿を割ってばかりいた少女は、過酷な日々の中で、悲しいほどに逞しくなってしまった。


「私、やっとパンがうまく焼けるようになったんですよ。焦がさずに、ふっくらと。……シルヴィア様に、食べてほしかったな」


 彼女は墓標を愛おしそうに撫でた。


「街の人たちは言います。『女王が死んでよかった』って。……でも、私は知っています。あの日、処刑台の上で、シルヴィア様が笑っていたことを」


 ミアの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「あの方は、幸せだったんですよね? やっと、アレン様のところへ行けるって……そう思って、逝かれたんですよね?」


 あの日、広場にいた誰もが、彼女の最期の微笑みを見て戦慄した。

 「不気味だ」「最後まで反省していなかった」と。

 けれど、最後まで彼女に仕えた二人だけには、その意味が痛いほど分かっていた。


 あれは、恋い焦がれた恋人の元へ帰る、乙女の顔だったのだと。


「……ああ、そうだな」


 ガルドが空を見上げる。

 分厚い鉛色の雲。冷たい風。

 この世界には、もう彼らの居場所はない。優しさも、愛も、理想も、すべては泥に塗れて消えてしまった。


「二人は、ここにはいねえよ」

 ガルドが呟く。


「こんな救いようのない世界からは、とっくに抜け出して……もっといい場所で、二人きりで笑ってるはずだ。そうでなきゃ、嘘だろ」


 そうでなければ、あまりにも報われない。

 すべてを犠牲にして愛を貫いた二人が、死後もなお離れ離れだなんて。そんなことがあってたまるか。


「……そうですね」

 ミアが涙を拭い、空を見上げた。


「きっと、今頃……二人でピクニックでもしているかもしれませんね。アレン様が昼寝をして、シルヴィア様が本を読んで……」

「へっ、そいつはいい。邪魔しちゃ悪いな」


 ガルドは立ち上がり、空になった酒瓶を置いた。

 墓標の周りには、シロツメクサが風に揺れている。

 かつて二人が愛を誓ったこの丘だけが、変わらぬ美しさを保っていた。


「行くぞ、ミア。……俺たちは、まだ生きなきゃならねえ」

「はい。……私たちの記憶の中で、お二人がいつまでも幸せでいられるように」


 二人は、墓標に深く一礼した。

 そして、振り返ることなく丘を降りていく。


 残されたのは、名もなき二つの墓と、吹き荒れる風の音だけ。


 国は荒れ果て、人々の心は荒み、歴史は彼らを「悲劇の英雄」と「狂気の悪女」として記録するだろう。

 真実の愛の物語は、誰も知らないまま、土の下へと埋もれていく。


 ――現実ここには、救いなどない。

 ハッピーエンドなど、どこにもない。

 ただ、残酷な時間が流れていくだけだ。


 雨が降り始めた。

 冷たい雨が、墓標を濡らし、枯れた大地を叩く。

 それはまるで、この世界に残された悲しみを洗い流そうとするかのように、いつまでも、いつまでも降り続いていた。

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