表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
終章:断罪の果てに

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

37/40

第37話 処刑前夜

 重い鉄の扉が閉まり、鍵がかけられる音が、世界との断絶を告げる最後の音だった。


 王都の地下牢。

 かつて私がジェラルドを幽閉し、絶望の底へと突き落としたその場所に、今度は私自身が座り込んでいる。

 湿った冷気。カビと錆の匂い。

 足首に食い込む鉄枷の冷たさだけが、ここが現実であることを教えてくれる。


「……静かね」


 私は壁に背を預け、膝を抱えた。

 地上では、明日の処刑を待ちわびる民衆の熱気が渦巻いているはずだ。けれど、分厚い石壁に囲まれたこの場所には、何の音も届かない。

 完全な静寂。完全な闇。


 不思議と、怖くはなかった。

 むしろ、安らいでいた。

 もう、誰も殺さなくていい。誰も憎まなくていい。

 「女王」として振る舞う必要も、「復讐者」として心を凍らせる必要もない。

 ここには、私と――私の心の中にいるアレンだけ。


「……ふぅ」


 長く、深い息を吐き出す。

 その拍子に、張り詰めていた何かが、糸が切れるようにふつりと解けた。


 ドクン、と心臓が鳴る。

 途端に、視界が滲んだ。


「……あ……」


 止めどない涙が、堰を切ったように溢れ出してくる。

 これまで「狂気」という仮面で蓋をしてきた感情が、奔流となって押し寄せてきた。


 痛い。

 胸が、張り裂けそうに痛い。


 アレンが死んでから、私は一度だってまともに泣いていなかった。

 泣けば、彼を失った事実を認めてしまうことになるから。

 泣けば、私が壊れてしまうと分かっていたから。

 だから私は怒りを選んだ。憎しみを選んだ。世界を呪うことで、自分を保とうとした。


 でも、もう終わりだ。

 明日、私は死ぬ。

 もう、強がる必要なんてないんだ。


「う……うぅ……っ」


 私は膝に顔を埋め、声を殺して泣いた。

 女王の威厳も、悪女のプライドも、すべてかなぐり捨てて。

 ただの、恋人を失った一人の女として。


「アレン……アレン……」


 名前を呼ぶだけで、喉が焼けるように熱い。

 会いたい。

 今すぐに会いたい。

 あの温かい腕に抱きしめられたい。大きな手で頭を撫でてほしい。「大丈夫だ」って、優しく笑ってほしい。


 どうして、こんなことになってしまったんだろう。


 私たちは、ただ幸せになりたかっただけなのに。

 辺境の小さな屋敷で、貧しくても、手を取り合って生きていきたかっただけなのに。

 パンを焼いて、畑を耕して、夜は星を見上げて。

 そんなささやかな願いさえ、許されなかった。


「私が……私が悪いの?」


 暗闇に向かって問いかける。答えは返ってこない。


「私が、あなたを守れなかったから? 私が無力だったから? それとも……私たちが望んだ幸せが、身の丈に合わない贅沢だったの?」


 違う。アレンならきっと、そう言ってくれる。

 『君は悪くない』って。『運命が悪戯をしただけだ』って。


 でも、結果はこれだ。

 彼は死に、私は世界を壊し、そして殺される。

 私たちの愛が残したものは、無数の死体と、荒廃した国だけ。


(ごめんなさい、アレン)


 私は心の中で謝り続けた。


(あなたの理想を、守れなかった。あなたが愛した国を、血の海にしてしまった。あなたが生かしてくれたこの命を、復讐のためだけに使い潰してしまった)


 あの日、馬車の中であなたが遺した「生きて」という言葉。

 あれは、こんな形での生を望んだものじゃなかったはずだ。

 あなたは私に、笑っていてほしかったはずだ。幸せになってほしかったはずだ。


 分かっていた。

 最初から、分かっていたのよ。

 私がやっていることが、あなたを悲しませることだって。

 でも、止められなかった。

 あなたを失った痛みが、あまりにも大きすぎて。その痛みを麻痺させるためには、他人の血を流すしかなかった。世界中を敵に回して、自分自身を傷つけ続けなければ、息をすることさえできなかった。


「……弱虫ね、私」


 自嘲の笑みが漏れる。

 救国の聖女? 鉄の女?

 いいえ、中身はただの、一人じゃ何もできない泣き虫な子供よ。

 あなたがいないと、何一つ正しく選べなかった。


 ガルドやミアの顔が浮かぶ。

 彼らは最後まで、私を止めようとしてくれた。私を「人間」に戻そうとしてくれた。

 けれど私は、彼らを拒絶した。彼らの優しさが、直視したくない現実――アレンの死――を突きつけてくるようで、怖かったから。


「ごめんね、みんな……」


 今さら謝っても遅い。

 私は彼らを裏切り、傷つけた。もう二度と、あの温かい食卓を囲むことはできない。


 ふと、鉄格子のはまった高い窓を見上げた。

 小さな四角い夜空。星は見えない。

 けれど、あの日――プロポーズされた夜に見た、満天の星空を思い出すことはできた。


 シロツメクサの指輪。

 土の匂い。

 重なり合った唇の熱さ。

 『一生、君を守るよ』という、震えるような誓いの言葉。


 あの瞬間だけは、確かに永遠だった。

 あの記憶さえあれば、私は地獄の業火の中でも笑っていられる。


「……ねえ、アレン」


 私は壁の染みに向かって、語りかけた。

 幻覚ではない。心の中にいる彼に。


「怖いわ」


 素直な本音がこぼれた。


「死ぬことは怖くないの。……ただ、あなたに会えるかどうかが、怖いの」

「私はこんなに手を汚してしまった。何千人も殺して、国を滅茶苦茶にして……そんな私が、あなたのいる場所へ行けるのかしら」


 あなたは光の中にいるでしょう?

 英雄として、清らかな魂として、天国で笑っているでしょう?

 でも私は、地獄行きが決まっている大罪人。

 死んだ後も、私たちは離れ離れなのかしら。


 そう思うと、恐怖で震えが止まらなくなった。

 死ぬことよりも、消えることよりも。

 二度と彼に会えないことだけが、何より恐ろしい。


「会いたい……。アレン、会いたいよぉ……ッ」


 私は冷たい床に額を擦り付け、懇願した。


「神様なんて信じないけれど、もしいるなら……お願い。罰ならいくらでも受けます。魂が引き裂かれるような苦しみでもいい。業火に焼かれてもいい」


 爪が剥がれるほど床を掻きむしる。


「ただ一目だけ、彼に会わせてください。……謝らせて。そして、もう一度だけ『愛してる』って言わせて……」


 涙が床に水溜まりを作る。

 夜は深く、静かで、私の嘆きだけを吸い込んでいく。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 格子の向こうが、微かに白み始めていた。

 夜明けだ。

 私の人生、最後の朝が来る。


 カツ、カツ、カツ……。

 回廊の奥から、足音が近づいてくる。

 迎えが来たのだ。


 私は涙を拭い、乱れた髪を手櫛で整えた。

 ドレスの埃を払い、背筋を伸ばす。

 最期くらい、彼の妻として恥ずかしくない姿でいたい。

 かつて彼が愛してくれた、気高い「シルヴィア」として。


 ガチャリ、と鍵が開く音。

 重い扉が開き、執行官と兵士たちが姿を現す。

 彼らは私を見て、一瞬ひるんだように見えた。

 昨夜までの狂気に満ちた「暴君」ではなく、憑き物が落ちたような、静謐な空気を纏った女性がそこにいたからかもしれない。


「……時間だ」

「ええ。分かっているわ」


 私は自ら立ち上がり、歩き出した。

 足取りは軽い。

 もう、迷いはない。


 アレン。

 私は行くわ。

 あなたが守ろうとした世界を壊してしまった罪を、この命で償ってくる。


 もし、許されるなら。

 道の果てで、待っていてほしい。

 泥だらけでも、血まみれでもいいから。

 あなたのその手で、もう一度私を抱きしめて。


「……行きましょう」


 私は兵士たちに囲まれ、地下牢を後にした。

 階段を上るたびに、地上の喧騒が近づいてくる。

 罵声と、怒号と、殺気。

 それが私に向けられた最後の手向けだ。


 怖くないと言えば嘘になる。

 けれど、胸のポケットには、あの日アレンと交換した「お守り」が入っている。

 ボロボロになった刺繍の布切れ。

 それだけが、私の唯一の味方。


 さあ、幕引きの時間だ。

 私、シルヴィア・フォン・ローゼンの、最後の舞台へ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ