第36話 裁判ごっこ
王都の中央広場には、かつてないほどの熱気が渦巻いていた。
けれどそれは、かつて私たちが革命の勝利を祝い、愛を誓い合った時の温かな熱気とは正反対のものだ。
煮えたぎるような憎悪。血を求める渇望。
何万もの瞳が、広場の中央に設えられた粗末な壇上を睨みつけている。
そこは、あの日――アレンが殺された場所だ。
「静粛に! これより、元共和国最高指導者、シルヴィア・フォン・ローゼンに対する断罪裁判を開廷する!」
急造の裁判官席に座った男が、木槌を打ち鳴らした。
彼は反乱軍の幹部の一人で、かつて私の恐怖政治によって家族を失った男だ。その目には、私を八つ裂きにしても飽き足りないという暗い炎が燃えている。
私は、壇上の中央に引きずり出された。
両手両足には重い枷。ドレスはボロボロで、肩や背中からは乾いた血が剥がれ落ちる。
かつてこの場所で、純白のドレスを着てアレンの隣で笑っていた私は、もうどこにもいない。
今の私は、薄汚れた罪人でしかない。
「被告人、シルヴィア。顔を上げろ」
兵士に髪を掴まれ、強引に上を向かされる。
視界いっぱいに広がるのは、民衆の顔、顔、顔。
誰もが顔を歪め、口々に罵声を浴びせている。
「人殺し!」
「悪魔め! よくも俺の店を焼いたな!」
「死んで償え!」
石が飛んでくる。腐った野菜が投げつけられる。
兵士たちが形式的に制止するが、その手は緩い。彼らもまた、私を憎んでいるのだから。
私は、されるがままになっていた。
痛みは遠い。罵声も、遠い波の音のようにしか聞こえない。
ただ、この場所の「記憶」だけが、鮮明に蘇ってくる。
(ああ……。ここは、アレンが……)
石畳の染み。瓦礫の山。
景色は変わってしまったけれど、私は覚えている。
ここでアレンが私を庇い、背中に凶刃を受けたことを。
私の腕の中で、冷たくなっていったことを。
あの時、私の時間は止まった。
だから今、ここで私の命が終わるのは、とても自然なことのように思えた。
やっと、止まっていた時計の針が動き出し、物語のエピローグへと向かい始めたのだ。
「検察官、罪状の読み上げを」
裁判官が促すと、若い男が巻物を広げた。
「被告人シルヴィアは、アレン・ウィンスレット氏の死後、不当に国家権力を掌握。独裁的な恐怖政治を敷き、無実の市民数千名を処刑した。さらに周辺諸国への侵略戦争を引き起こし、多数の兵士と民間人を死に追いやった。また、自身の保身のために王都に火を放ち、壊滅的な被害を与えたものである!」
朗々と読み上げられる罪の数々。
民衆のどよめきが大きくなる。
「その罪、万死に値する! 異論はあるか!」
検察官が私を指差して叫ぶ。
会場中の視線が、私に突き刺さる。
弁明を期待しているのだろうか? それとも、命乞いを聞いて嘲笑いたいのだろうか?
私は、ゆっくりと首を横に振った。
「……ありません」
私の声は、枯れ木のように乾いていた。
「すべて、事実です」
会場が一瞬、静まり返る。
そして次の瞬間、爆発的な怒号が巻き起こった。
「認めたぞ!」
「ふざけるな! 何人殺したと思ってるんだ!」
「謝れ! 土下座して謝れ!」
私は無表情のまま、ただ虚空を見つめていた。
謝罪?
誰に?
あなたたちに?
(……笑わせないで)
心の中で、冷たい声が囁く。
あなたたちは、アレンが殺された時、何をしていたの?
悲鳴を上げて逃げ惑い、誰も彼を助けようとはしなかった。
私たちが命がけで守った平和の上にあぐらをかき、彼が死んだ途端に掌を返して、私を「独裁者」と罵った。
私が狂ったのは、あなたたちのせいよ。
アレンを奪ったこの世界すべてが、私を狂わせたのよ。
だから、謝るつもりなんてない。
私は私の愛のために、世界を敵に回した。ただそれだけのこと。
「……反省の色なしか。どこまでもふてぶてしい女だ」
裁判官が呆れたように吐き捨てる。
「弁護人は? ……いるわけがないか」
形式上、弁護人の席も用意されていたが、そこは空席だった。
こんな大罪人を弁護しようなどという物好きは、この国にはいない。
――いや、いたかもしれない。
群衆の最前列。警備兵の後ろに、見知った顔があった。
ガルドと、ミアだ。
彼らは反乱軍の幹部として、この裁判を見届ける義務があった。
ガルドは拳を握りしめ、悔しそうに顔を歪めている。
ミアは手で顔を覆い、肩を震わせて泣いている。
彼らなら、あるいは弁護を買って出てくれたかもしれない。
「彼女は狂っていただけだ」「本当は優しい人なんだ」と。
でも、私はそれを望まない。
彼らを巻き添えにするわけにはいかないし、何より、同情されたくなかった。
私は「魔女」として死ぬ。
アレンを奪った世界を呪い、破壊し尽くした悪役として。
それが、私なりの愛の証明だから。
私はガルドたちから目を逸らした。
他人を見るような、冷たい目で。
それが、彼らへの最後の優しさだった。
「判決を言い渡す!」
裁判官が立ち上がり、高らかに宣言した。
広場が、水を打ったように静まり返る。
「被告人シルヴィア・フォン・ローゼン。……死刑」
どよめきが波紋のように広がる。
「執行は明朝。場所はこの広場にて、公開処刑とする! その首を晒し、新たな時代の礎とする!」
木槌が、ガアン! と打ち鳴らされた。
それが合図だったかのように、民衆の歓喜が爆発する。
「死刑だ! 正義が勝った!」
「万歳! 革命軍万歳!」
「明日が待ち遠しいぞ!」
拍手。口笛。歌い出す者さえいる。
一人の人間の死が決まったというのに、まるで祭りのような騒ぎだ。
滑稽ね。
かつて私とアレンの結婚を祝福したのと同じ口で、今度は私の死を祝福している。
人間の心なんて、所詮は風見鶏のようなものだわ。
私は、宣告を聞いても眉一つ動かさなかった。
ただ、安堵の息が漏れそうになるのを堪えるのが精一杯だった。
(やっと……終わる)
明日の朝。
あと数時間だけ耐えれば、この苦しみから解放される。
痛みも、憎しみも、孤独も、すべて消えてなくなる。
そして、アレンに会える。
そう思うだけで、凍りついていた心臓が、少しだけ温かくなる気がした。
「連れて行け!」
兵士たちに乱暴に立たされ、私は引きずられるように退廷させられた。
背中に浴びせられる罵声の雨。
石が飛び、唾が吐きかけられる。
でも、もう何も感じない。
私の心は、すでにここにはない。
遠い空の向こう、アレンが待つ場所へと、半分以上旅立っていた。
薄暗い地下牢へと戻される道中、私は小さな格子窓から空を見上げた。
夕暮れの空は、血のように赤かった。
あの日、アレンが死んだ日のドレスのように。
「……待っていてね、アレン」
誰にも聞こえない声で、私は呟いた。
「もうすぐ、あなたのところへ行くわ。……たくさん、お話ししましょうね」
重い鉄の扉が閉まる。
鍵がかかる音が、私の現世での役割の終わりを告げていた。
暗闇の中で、私は膝を抱え、静かに目を閉じた。
明日の朝が来るのが、こんなに待ち遠しいのは初めてだった。
それは私にとって、処刑の時間ではなく、愛する人との再会の時間なのだから。




