表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
第4章:崩壊と狂気

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/40

第30話 亀裂

 私の心は、冬の湖面のように澄み渡っていた。

 迷いはない。感情もない。あるのは、遂行すべき義務だけだ。


 王宮の執務室。

 私は一枚の書類に、躊躇なく署名をした。

 それは、かつて革命軍の中核を担っていた第三歩兵部隊の解体と、隊長以下主要メンバーの処刑を命じる命令書だった。


「……彼らは、アレンが鍛えた兵たちでした」


 報告に来た秘書官が、青ざめた顔で言った。

「先日の暴動鎮圧の際、市民への発砲を拒否したとのことですが……それは、彼らが民を守るという騎士道精神を持っていたからで……」

「騎士道?」

 私は鼻で笑った。


「そんな甘っちょろいものが、何の役に立つの? 命令違反は反逆よ。彼らが引き金を引かなかったせいで、暴徒の鎮圧が遅れ、治安が乱れた。……それは、間接的に私を、そしてアレンの国を害する行為だわ」


 私は署名した書類を放り投げた。

「即刻、刑を執行なさい。見せしめにするのよ。私の命令に背けば、かつての英雄だろうと容赦はしないと知らしめるためにね」


 秘書官が震えながら退室しようとした、その時だった。


 バンッ!!


 乱暴に扉が開かれた。

 秘書官が悲鳴を上げて飛び退く。

 そこに立っていたのは、血相を変えたガルドと、顔をくしゃくしゃにして泣いているミアだった。


「……何の真似?」

 私はペンを置き、冷ややかに二人を見据えた。

「許可なく入室することは禁じているはずよ。近衛隊長と筆頭侍女なら、礼儀くらいわきまえなさい」


「礼儀だァ!?」

 ガルドが吠えた。

 あの大柄な体が、怒りで震えている。彼が私に対してこれほど感情を露わにするのは、初めてのことだった。


「そんなもんクソ食らえだ! おいシルヴィア! お前、正気か!? 第三部隊の連中は、お前とアレン様のために一番血を流した奴らだぞ! そいつらを処刑するだと!?」


 ガルドが大股で机に歩み寄り、両手でバンと天板を叩いた。

 インク壺が倒れ、黒い液体が広がる。

 私は眉一つ動かさず、汚れた書類を見つめた。


「……ガルド。私を『お前』呼ばわりするとは、随分と偉くなったものね」

「ふざけるな! 俺はアレン様との約束を守るために、必死でお前を支えてきた! だがな、これ以上は無理だ! お前のやってることは、アレン様が一番憎んだ『圧政』そのものじゃねえか!」


「シルヴィア様、お願いします……!」

 ミアが私の足元にすがりついた。

 彼女の涙が、私のスカートを濡らす。


「もうやめましょう……? こんな怖いこと、もう終わりにしましょう? 街の人たちはみんな震えています。誰も笑っていません。……こんなの、アレン様が望んだ世界じゃありません!」


 アレン様が望んだ世界。

 アレン様ならこうする。アレン様なら悲しむ。


 まただ。

 どいつもこいつも、死んだ彼の名前を免罪符にして、私を責め立てる。


(……うるさい)


 頭の中で、何かが軋む音がした。

 こいつらは何も分かっていない。

 アレンが死んだあの瞬間、きれいごとだけの理想論も一緒に死んだのだということを。


「……黙りなさい」

 私は低い声で言った。


「あなたたちに、私の何が分かるの? アレンを失った私の痛みが、絶望が、あなたたち如きに理解できるとでも思っているの?」


 私は立ち上がり、ガルドを睨みつけた。


「アレンが望んだ世界? ええ、そうね。彼は誰も傷つかない、優しい世界を望んだわ。……その結果がどうなった? 彼は殺されたのよ! その優しさにつけ込まれて、無残に殺されたの!」


 激情が堰を切って溢れ出す。

 私は叫んでいた。


「優しさだけで国が守れるなら、アレンは今もここにいるはずよ! 彼を守れなかったこの世界に、正義なんてない! あるのは力だけ! 裏切り者を排除し、恐怖で統制しなければ、また大切なものが奪われる……!」


「だからって、罪のない人間まで殺していい理由にはならねえ!」

 ガルドも負けじと怒鳴り返す。

「お前はただ、自分の悲しみを周りにぶつけてるだけだ! アレン様の復讐だとか言って、自分を正当化してるだけだろ!」


 図星だった。

 だからこそ、許せなかった。

 私の心の、一番痛いところを、土足で踏み荒らされた気がした。


「……下がりなさい」

「シルヴィア!」

「下がりなさいと言っているのッ!!」


 私が叫ぶと同時に、私の影から漆黒の(もや)のようなものが立ち上った気がした。

 部屋の空気が凍りつく。

 ガルドとミアが、息を呑んで後ずさる。


 私は机の引き出しから、一丁の短銃を取り出した。

 最新式の魔導銃。護身用に常に手元に置いているものだ。

 私はその銃口を、かつての戦友たちに向けた。


「……シルヴィア様……?」

 ミアが信じられないものを見る目で私を見つめる。

 ガルドが歯を食いしばり、拳を震わせている。


「あなたたちは、甘い。その甘さが、いずれ私の足枷になる」


 私は引き金に指をかけ、冷酷に告げた。


「出て行って。……今すぐ、私の目の前から消えなさい。二度と顔を見せないで」

「……本気か」

「次にその口を開いたら、撃つわ。……昔のよしみよ。命だけは助けてあげる」


 ガルドは長い間、私を睨みつけていた。

 その目には、怒りよりも深い、失望と哀れみの色が浮かんでいた。

 それが、私をさらに苛立たせる。


「……わかったよ」

 ガルドは静かに言った。

「だが、これだけは言っておく。……お前は今、世界で一番孤独だ。アレン様が命を懸けて守りたかったシルヴィアは、もう死んだんだな」


「ええ、そうよ。あの泣き虫な令嬢は、アレンと一緒に棺に入ったわ」

 私は嘲るように笑ってみせた。


「いやだ……いやですぅ……」

 泣きじゃくるミアの腕を引いて、ガルドが背を向ける。

 二人が部屋を出て行く。

 重い扉が閉まる音が、私たちの絆が断ち切られた音のように聞こえた。


 部屋に、また静寂が戻る。

 私は銃を机に置き、どさりと椅子に座り込んだ。

 心臓が痛いほど脈打っている。手足が冷たい。

 

 これでいい。

 これで、私の邪魔をする者はいなくなった。

 甘い言葉で私を惑わせ、弱さに引きずり込もうとする「過去」は、すべて切り捨てた。


 ふと、視界の端に誰かが立っているのに気づいた。

 窓際。月明かりの中に立つ、懐かしい人影。


 アレンだ。

 彼は悲しそうな顔も、怒った顔もしていなかった。

 ただ、穏やかに微笑んでいた。


『よくやったね、シルヴィア』

 幻覚のアレンが、私の頭を撫でるような仕草をする。

『君は正しい。君を理解しない人間なんて、必要ないんだ。俺たちは二人だけでいい。……そうでしょ?』


 その言葉に、私の心は蕩けるように安らいだ。

 そうよ。やっぱり、アレンだけが私を分かってくれる。

 ガルドもミアも、誰も私たちの愛の深さを理解できないのよ。


「ええ、アレン。……あなたがいれば、私は何もいらない」


 私は虚空に向かって手を伸ばし、存在しない温もりを抱きしめた。

 目から一筋の涙がこぼれたが、それは悲しみの涙ではないと自分に言い聞かせた。

 これは、決別の涙だ。

 人間としての心を捨て、修羅として生きるための、最後の儀式なのだと。


 その夜。

 ガルドとミア、そして彼らを慕う一部の兵士たちが、王都から姿を消したという報告が入った。

 私はそれを聞き流し、新たな処刑命令書にサインをした。


 心の中に空いた穴は、もう誰にも埋められない。

 ならば、血で満たすしかない。

 世界中を敵に回してでも、私は私の「正義」を貫く。


 亀裂は、修復不可能な断絶となり、私を完全な孤立へと追いやった。

 けれど、今の私にはそれが心地よかった。

 誰もいない玉座こそが、私とアレンだけの聖域なのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ