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愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
第4章:崩壊と狂気

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第29話 疑心暗鬼

 ジェラルド元王太子の処刑から、一ヶ月が過ぎた。

 諸悪の根源を断ったことで、国は平和になるはずだった。

 民は安堵し、新しい時代を祝福し、私とアレンの功績を称えるはずだった。


 けれど、現実は違った。


 旧王宮の執務室。

 分厚いカーテンが閉ざされた薄暗い部屋で、私は書類の山に埋もれていた。

 聞こえてくるのは、私のペンが紙を引っ掻く音と、自分の呼吸音だけ。

 かつてはアレンや仲間たちの笑い声で満ちていたこの部屋は、今や墓場のように静まり返っている。


「……シルヴィア様。報告書をお持ちしました」


 新しく採用した秘書官が、震える手で羊皮紙の束を差し出した。

 以前の有能な官僚たちは、「改革の方針が急進的すぎる」などと口答えをしたため、全員更迭した。今、私の周りにいるのは、私の顔色を伺うだけのイエスマンばかりだ。

 でも、それでいい。余計な意見はいらない。必要なのは、私の手足となって動く駒だけだ。


「読みなさい」

「は、はい……。王都第4区の酒場にて、政府批判の声あり。数名の若者が『前の王政の方がマシだった』と発言しているのを、密告者が確認しました」


 ピタリ、とペンの手が止まる。

 前のほうがマシ?

 ジェラルドの圧政に苦しみ、今日食べるパンさえ奪われていたあの日々が?

 私たちが――アレンが命を懸けて覆したあの地獄が、マシだったと言うの?


「……愚か者たちね」


 私は冷ややかに吐き捨てた。


「喉元過ぎれば熱さを忘れると言うけれど、ここまで記憶力が欠落しているとは。彼らは、誰のおかげで今の自由を享受できていると思っているのかしら」

「そ、その通りでございます。して、処遇は……」

「拘束しなさい。尋問ののち、反逆の意志ありと見なせば極刑に」


 秘書官が息を呑む。

「し、しかし、酒場の酔っ払いの戯言かもしれま――」

「だから何?」


 私は顔を上げ、秘書官を射抜くように見つめた。


「戯言から芽吹く毒もあるわ。小さな火種を見逃せば、やがてそれは大火となって国を焼く。……アレンが死んだ時のようにね」


 あの日、パレードを襲った男も、最初はただの不満分子の一人だったかもしれない。

 誰かが見逃し、誰かが「大したことはない」と放置した結果、彼は刃を持ち、私の太陽を奪った。

 二度と、同じ過ちは繰り返さない。

 可能性のある「悪意」は、すべて摘み取る。それが、残された私の義務だ。


「……仰せの通りに」

 秘書官は逃げるように部屋を出て行った。


 再び静寂が訪れる。

 私はペンを置き、こめかみを押さえた。

 頭が痛い。耳の奥で、常に誰かの嘲笑が聞こえるような気がする。


 ジェラルドは死んだ。

 実行犯も、その一族も、旧貴族派も、すべて粛清した。

 なのに、なぜ心は晴れないの?

 なぜ、胸の空洞は埋まらないの?


 ――まだ、足りないからだ。


 心の奥底から、どす黒い声が響く。

 敵は、目に見える者たちだけではない。

 私を、アレンを、心の中で嘲笑っている者たちがいる。

 「悲劇のヒロイン気取りか」「独裁者め」「いい気味だ」

 街の陰で、酒場で、あるいは家庭の中で。

 見えない敵が、私を包囲している。


「……ねえ、アレン。あなたもそう思うでしょう?」


 私は、誰もいない執務室の隅にある、空っぽの椅子に話しかけた。

 そこはかつて、アレンが座っていた場所だ。


 すると、椅子の輪郭が陽炎のように揺らぎ、そこに「彼」が現れた。

 琥珀色の瞳。優しい笑顔。あの日のままの、アレン。


『ああ、シルヴィア。君は正しいよ』


 幻覚のアレンが、優しく語りかけてくる。


『世界は悪意に満ちている。僕を殺したような人間が、まだたくさん潜んでいるんだ。君が守らなきゃいけない。僕たちの国を、理想を』

「ええ、そうよね。私がしっかりしなきゃ」


 私は幻影に向かって微笑みかけた。

 周囲は私を狂ったと言うかもしれない。

 けれど、私には見える。私には聞こえる。

 アレンだけは、私の味方だ。彼だけが、私の苦しみを、正義を理解してくれる。


『疑わしきは罰するんだ。君が傷つく前に。僕の二の舞にならないように』

「わかったわ、アレン。あなたの言う通りにする」


 私は新しい羊皮紙を取り出し、さらなる命令書を書き始めた。

 『密告奨励令』。

 隣人を、友人を、家族を監視させ、少しでも不審な言動があれば通報させる。

 通報者には報奨金を与え、被疑者は即刻収容所へ送る。

 

 恐怖で縛らなければ、人はすぐに裏切る。

 愛も、信頼も、アレンの死と共に消え失せた幻想に過ぎないのだから。


***


 数日後。王都の空気は一変していた。


 かつて活気に溢れていた大通りは、重苦しい沈黙に包まれている。

 人々は道を歩く時も伏し目がちで、互いに視線を合わそうとしない。

 挨拶すらも小声で、余計なことは一切喋らない。

 壁に耳あり、障子に目あり。

 いつ、誰が「密告者」になるか分からない疑心暗鬼が、都市全体を覆っていた。


 街角のパン屋。

 以前は行列ができていた人気店だが、今は客足もまばらだ。


「……おい、聞いたか? 隣の靴屋の息子が連れて行かれたって」

「しっ! 声が大きいぞ!」


 パンを買う客たちが、盗人のようにひそひそと言葉を交わす。


「なんでも、『税金が高い』って愚痴ったのを、商売敵に聞かれたらしい」

「それだけで……? 反逆罪で処刑か?」

「ああ。……もう、うかつに息もできねえな」


 店主の男が、震える手でパンを包みながら溜息をつく。

 その時、店のドアが乱暴に開けられた。


「動くな! 国家保安局だ!」


 黒い制服を着た秘密警察の男たちが雪崩れ込んでくる。

 客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、男たちは店主を取り囲んだ。


「パン屋の主人、お前に反逆の容疑がかかっている」

「な、何をおっしゃるんですか!? 私は真面目に税を納めて……!」

「黙れ! 『最近の小麦の質が悪いのは政府のせいだ』と発言したとの報告がある!」

「そ、そんな馬鹿な! ただの世間話で……」


 弁明は許されなかった。

 店主は殴り倒され、猿轡を噛ませられて引きずり出されていく。

 店の奥から奥さんと子供が泣き叫んで飛び出してくるが、彼らもまた、「共犯の疑いあり」として連行された。


 残されたのは、踏み荒らされたパンと、凍りついたような沈黙だけ。

 誰も助けようとはしなかった。

 助ければ、次は自分が標的になるからだ。


 その様子を、王宮のテラスから見下ろしていた私は、満足げにワインを傾けた。


「……いいわ。とても静かで、規律正しい」


 街からは雑音が消えた。

 不平不満も、嘲笑も、私を悩ませる雑多な声はすべて消え失せた。

 あるのは、私への絶対的な服従と、心地よい静寂だけ。


 背後で、ガルドが苦しげに呻く気配がした。


「……シルヴィア様。これで、本当によろしいのですか」

「何が?」

「あのパン屋は、革命の時、俺たちに無償で食料を提供してくれた支援者でした。アレン様も、彼の焼くパンがお好きでした」


 ガルドの声には、隠しきれない非難の色が混じっていた。

 私は振り返らず、冷淡に答える。


「過去の功績が、現在の罪を帳消しにするわけではないわ。彼は政府を批判した。それは、この国の秩序を乱す行為よ」

「ですが、あんな些細な愚痴で……! これでは、民は安心して暮らせません!」

「安心? アレンがいない世界で、誰が安心して暮らせるというの?」


 私はグラスを強く握りしめた。


「彼らは生きているだけマシよ。アレンは、不満を言う口さえ奪われたのよ? ……ガルド、あなたもアレンを忘れたわけではないでしょうね」

「わ、忘れるものですか! 俺は……俺はただ、アレン様が命を懸けて守ろうとした民たちが、こんな風に怯えているのが……忍びないのです」


 大男が、子供のように肩を震わせている。

 かつては頼もしい背中だと思っていたけれど、今の私には、その優しさが弱さにしか見えなかった。


「甘いわ、ガルド。……優しさだけでは何も守れないと、あの日、思い知ったはずでしょう?」


 私は彼に背を向け、再び街を見下ろした。


「不満分子はすべて摘み取る。恐怖で縛り付けてでも、国を一つにする。……それが、これ以上誰も失わないための、唯一の方法よ」


 私の隣で、幻覚のアレンが優しく微笑んで頷いた。


『そうだよ、シルヴィア。君は正しい。誰も信じちゃいけない。……信じられるのは、僕と君だけだ』


「ええ、アレン。……私には、あなたがいればそれでいい」


 私は虚空に向かって、愛おしげに語りかけた。

 ガルドが絶望的な顔で私を見ていることにも気づかずに。

 あるいは、気づいていても、もうどうでもよかったのかもしれない。


 疑心暗鬼の闇は、私の心を、そして国全体を、どす黒く塗り潰していく。

 そこにはもう、光が差し込む余地など残されてはいなかった。

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