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愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
第4章:崩壊と狂気

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第28話 ジェラルドの処刑

 王宮の地下深く。

 かつてはワイン貯蔵庫として使われていたその場所は、いまや国一番の重罪人を収容する監獄へと変えられていた。


 湿った冷気が肌を刺す。石造りの壁には緑色の苔がむし、松明の明かりが届かない闇の奥からは、時折ネズミが這い回る音が聞こえる。

 カツ、カツ、カツ……。

 私のヒールの音だけが、静寂の回廊に響き渡っていた。


「こ、こちらでございます、シルヴィア様」


 案内役の看守が、震える手で一番奥の独房の鍵を開ける。

 重い鉄の扉が、錆びついた悲鳴を上げて開いた。


「……下がりなさい。二人だけで話がしたいの」

「は、はい! 入り口で控えております!」


 看守が逃げるように去っていくのを見送り、私は独房の中へと足を踏み入れた。


 そこには、一人の男がいた。

 壁に繋がれた鎖に手足を拘束され、汚れた藁の上に力なく座り込んでいる。

 かつては煌びやかな軍服を着こなし、傲慢な笑みで国を見下ろしていた男。

 この国の元王太子、ジェラルド・アークライトだ。


「……誰かと思えば。元婚約者殿のお出ましか」


 ジェラルドが顔を上げた。

 頬は痩せこけ、髭は伸び放題。かつての美貌は見る影もない。だが、その瞳だけは依然として濁った光を宿し、私を睨め付けていた。


「久しぶりね、ジェラルド。……随分と狭いお住まいだこと」

「ふん。皮肉を言いに来たのか? それとも、今更私に許しを請いに来たのか?」


 彼は鎖をジャラつかせながら、嘲るように笑った。

 この期に及んで、まだ自分が上の立場だと思っているようだ。

 その愚かさが、今の私には滑稽でしかなかった。


「許し? 誰が誰に?」

 私は冷ややかに問い返した。

「私があなたに? それとも、あなたが私に?」


「決まっているだろう! 貴様は王族である私を陥れ、不当に幽閉した大罪人だ! だが、今ならまだ間に合うぞ。私をここから出し、王位に就けろ。そうすれば、側室の末席くらいには置いてやろう」


 ジェラルドは本気で言っていた。

 外界の情報から遮断されている彼は、まだ自分が「王太子」としての価値を持っていると信じているのだ。

 あるいは、そう信じ込まなければ、自我が崩壊してしまうのかもしれない。


 私は無表情のまま、彼を見下ろした。

 怒りも、憎しみさえも湧いてこない。ただ、目の前にいるのが「アレンを殺した世界を作った元凶」であるという事実だけが、冷たい石のように胸にある。


「……残念ね、ジェラルド。あなたの席はもうないわ」


 私は淡々と告げた。


「王政は廃止されたの。貴族制度も解体中よ。あなたの父親である前国王も、すでに退位して地方へ隠居させられたわ」

「な、なんだと……? 嘘だ、そんな馬鹿なことがあるか! 民衆が、王なしで生きていけるはずがない!」

「生きているわよ。あなたがいなくても、太陽は昇るし、作物は育つ。……皮肉なことにね」


 アレンがいなくても、世界は回っている。

 その事実が、私には何よりも許せなかった。


「貴様……ッ! 田舎者の分際で、国を盗んだ気か!」

「盗んだんじゃないわ。掃除をしたのよ」


 私は一歩、彼に近づいた。

 ドレスの裾が、汚れた床を擦る。


「あなたが作ったこの腐った国が、アレンを殺した。あなたの蒔いた種が、巡り巡って私の愛する人を奪った。……だから私は、あなたの作った世界をすべて壊すことにしたの」


「アレン……? ああ、あの生意気な男か」

 ジェラルドが鼻で笑った。

「死んだのか? ははは! それはいい気味だ! 私に逆らった天罰が下ったのだ! ざまあみろ!」


 その瞬間。

 私の中で、何かが弾けた。


 カツン。


 私はヒールで、ジェラルドの手を強く踏みつけた。


「ぎゃあああっ!?」


 悲鳴が上がる。

 私は表情を変えず、さらに体重をかけてグリグリと踏みにじる。


「その汚い口で、彼の名前を呼ばないで」

「い、痛い! やめろ、離せ! 私は王太子だぞ!」

「ただの罪人よ。……いいえ、それ以下ね」


 私は彼の手を蹴り飛ばし、屈み込んで彼の目を覗き込んだ。

 かつては恐怖で直視することさえできなかったその瞳。

 今は、恐怖に怯え、涙を浮かべている。


「ねえ、ジェラルド。教えてあげる」

 私は囁いた。愛の言葉を告げるように、優しく、残酷に。


「あなたは今日、死ぬの」


 ジェラルドの動きが止まった。

 理解が追いついていないような顔で、私を見返す。


「し……死ぬ? 私が? 処刑されるというのか?」

「ええ。もう判決は出ているわ。『国家転覆罪』および『内乱首謀罪』。……まあ、私が書いた判決書だけど」


 私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出し、彼の目の前にかざした。

 そこには、赤いインクで『死刑』の二文字が記されている。


「待て、待ってくれ! 話せばわかる! 私は王族だぞ! 殺せば他国が黙っていない!」

「他国? ああ、大丈夫よ。すでに国境には軍を配備してあるわ。文句がある国があれば、ついでに潰すだけだから」

「き、貴様……正気か!? 狂っている!」


 ジェラルドが腰を抜かし、後ずさる。

 壁に背中を押し付け、ガタガタと震え始めた。


「狂っている? ……そうかもね」


 私は無感情に肯定した。


「アレンが死んだあの日、私の心は一度死んだの。今の私は、ただの残骸よ。……でもね、残骸にも執着はあるの」


 私は立ち上がり、扉の方へと向かった。

 用は済んだ。

 彼に絶望を与えること。そして、アレンの仇の一人を消すこと。


「待て! 行かないでくれ、シルヴィア! いや、シルヴィア様!」

 ジェラルドが這いつくばり、鎖を引きちぎらんばかりに手を伸ばしてくる。

「助けてくれ! なんでもする! 靴でも舐める! だから命だけは……!」


 かつての婚約者。国の頂点にいた男。

 その彼が今、泥にまみれ、鼻水を垂らして命乞いをしている。

 なんと醜く、哀れな姿だろう。


 ……胸がすくような爽快感があるかと思った。

 「ざまあみろ」と、笑えるかと思った。


 けれど、私の心は凪いだままだった。

 冷たい湖の底のように、何の感情も湧き上がってこない。

 ただ、虚しいだけ。


 こんなどうしようもない男のために、アレンは命を懸けたのか。

 こんな男が作った世界に、私たちは翻弄されていたのか。


「……さようなら、ジェラルド」


 私は振り返ることなく、看守に合図を送った。


「執行しなさい。……すぐに」


 重い鉄の扉が閉まる。

 その向こうから、「いやだぁぁぁぁっ!」という絶叫が聞こえ、そしてすぐに途切れた。

 鈍い音が一度だけ響き、あとは静寂が戻った。


 終わった。

 全ての元凶。私の人生を狂わせ、アレンを苦しめた男は、呆気なくこの世から消えた。


 私は王宮の廊下を歩き出した。

 窓の外には、美しい満月が浮かんでいる。

 アレンと二人で眺めた、あの夜と同じ月だ。


「……アレン」


 誰もいない廊下で、私は小さく彼を呼んだ。

 仇は取ったわ。

 あいつは恐怖に歪んだ顔で、惨めに死んでいった。


 ねえ、褒めてくれる?

 「よくやった」って、頭を撫でてくれる?


 ……ううん、違うわね。

 あなたはきっと、悲しい顔をする。

 「そんなことのために、君の手を汚してほしくなかった」って、泣くかもしれない。


 想像の中のアレンの顔が、悲しげに歪む。

 それだけで、胸が張り裂けそうになる。


「ごめんね、アレン。……でも、もう止まれないの」


 私は自分の両手を見た。

 白い手袋の下には、見えない血がべっとりとこびりついている。

 ジェラルドの血だけじゃない。粛清した貴族たち、テロリストと疑われた市民たち。

 私の命令一つで消えていった、数え切れない命の重み。


 この手で、もう一度アレンに触れることなんて、許されるはずがない。

 私はもう、彼の隣に立つ資格なんてない「穢れた女」なのだから。


(だったら、突き進むしかないわ)


 私は涙を流さなかった。

 代わりに、口元に冷たい笑みを貼り付けた。


 地獄へ行くなら、道連れは多いほうがいい。

 この世界に残る「アレンを害する可能性のあるもの」を、すべて道連れにしてやる。

 それが、愛する人を守れなかった私への、せめてもの罰であり、贖罪だ。


「……次は、誰を殺そうかしら」


 独り言が、冷たい廊下に吸い込まれていく。

 復讐は終わらない。

 虚無を埋めるための血の宴は、まだ始まったばかりだった。

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