第27話 粛清の夜明け
翌朝。
私は、喪服である漆黒のドレスに身を包み、鏡の前に立っていた。
かつてアレンが「世界で一番綺麗だ」と言ってくれた純白のドレスは、もう二度と着ることはない。
鏡の中の私は、蒼白な顔をしている。けれど、その瞳だけは凍てつく冬の湖のように、冷たく澄んでいた。
「……参りましょうか」
私は黒いレースの手袋をはめ、部屋を出た。
廊下には、ガルドと、彼が選抜した二十名の武装した近衛兵が待機していた。彼らは皆、アレンに命を救われた者たちだ。アレンのためなら、悪魔に魂を売ることも厭わない者たちだ。
「準備はいいわね、ガルド」
「……はい。手筈通りに」
ガルドの声は低く、硬い。彼もまた、これから始まることが「正義」ではないと分かっているのだろう。
それでも彼は私に従う。それが、亡き友への唯一の手向けだと信じているからだ。
私たちは足音を殺し、王宮の中枢にある大会議室へと向かった。
***
会議室の重厚な扉が開かれると、中には数十名の議員や貴族たちが集まっていた。
彼らは革命後に新政府の要職に就いた者たちだ。その多くは、ジェラルドを見限って寝返った旧貴族や、風見鶏のような官僚たちだった。
「おや、シルヴィア様」
「まだお休みになられていなくてよろしいのですか?」
上座に座っていた侯爵――昨日、廊下でアレンを嘲笑っていた男の一人――が、猫なで声で話しかけてくる。
その顔には「可哀想な未亡人」を気遣うような慈悲深い笑みが張り付いているが、目の奥には侮蔑の色が見え隠れしていた。
「ご心配には及びませんわ、バルモン侯爵」
私は淑女の礼をして、空席になっていた議長席――かつてアレンが座っていた席の前に立った。
「アレンの遺志を継ぐためにも、いつまでも泣いてはいられませんもの。今日は、皆様に提案があって参りました」
「提案? ほう、なんでしょうか」
バルモン侯爵が鷹揚に頷く。
彼らは油断している。政治の素人である小娘が、せいぜい「アレンの銅像を建てたい」とでも言い出すと思っているのだろう。
私は懐から、一枚の羊皮紙を取り出した。
昨夜、一睡もせずに書き上げた「特別法案」だ。
「現在、王都の治安は悪化の一途を辿っています。アレンを殺害したテロリストの残党も、まだ潜伏している可能性があります」
「左様ですな。我々も心を痛めております」
「そこで、事態を収拾するために『国家保安特別法』の制定を提案いたします」
私は淡々と条文を読み上げた。
「第一条、テロリズムおよび国家転覆を企てる者に対し、裁判を省略した即時拘束を許可する。
第二条、容疑者の資産は一時凍結し、政府の管理下に置く。
第三条、本法の執行権限は、革命の指導者であるシルヴィア・フォン・ローゼンに一任する」
読み上げるにつれ、会議室の空気が変わっていった。
嘲笑は消え、どよめきと困惑が広がる。
「な、何を言っているのですか、シルヴィア様」
バルモン侯爵が顔を引きつらせて立ち上がった。
「裁判なしでの拘束? 全権委任? そんな独裁的な法律、認められるわけがないでしょう! 我々は共和国ですぞ!」
「独裁、ですか?」
私は首を傾げ、冷ややかに彼を見つめた。
「奇妙ですね。アレンが生きていた頃、あなた方は口を揃えて言っていましたわ。『強力なリーダーシップが必要だ』『アレン殿に全権を預けるべきだ』と。……アレンが死んだ途端、その言葉を忘れてしまったのですか?」
「そ、それは……彼には人望と武力があったからで……」
「私にはないと?」
私は一歩前に出た。
ヒールの音が、銃声のように鋭く響く。
「アレンを殺した犯人が捕まらないのは、捜査機関に権限がないからです。あなた方が『手続き』だの『人権』だのを盾に、捜査を妨害しているからではありませんか?」
「ぶ、無礼な! 我々を疑うのか!」
「疑っていますよ」
私ははっきりと告げた。
「ここに証拠があります」
私は別の書類の束を机に叩きつけた。
昨夜、ガルドたちに命じて、バルモン侯爵らの屋敷から「押収」させた裏帳簿の写しだ。
そこには、彼らが裏社会の組織に金を流し、武器を横流ししていた記録が克明に記されていた。テロリストとの直接的な繋がりを示す証拠ではないが、彼らを追い詰めるには十分な「爆弾」だ。
「こ、これは……!」
「横領、背任、そして武器密輸。……これだけでも十分な重罪ですが、もしこの武器がアレンを殺すにに一役買っていたとしたら?」
私は声を落とし、氷のような視線で彼らを射抜いた。
「あなた方は、共犯者です」
「で、でたらめだ! 捏造だ!」
「衛兵! この狂った女をつまみ出せ!」
侯爵が叫ぶ。
扉が開き、兵士たちがなだれ込んでくる。
だが、彼らは私を取り押さえるのではなく、侯爵たちに剣を向けた。
ガルドと、彼が率いる近衛兵たちだ。
「な……っ!? き、貴様ら、誰から給金をもらっていると思っているんだ!」
「俺たちが仕えるのは金じゃねえ」
ガルドが低い声で唸り、侯爵の喉元に剣を突きつけた。
「アレン様と、その意志を継ぐシルヴィア様だ。……動くなよ、豚共。手が滑りそうだ」
会議室は、一瞬にして制圧された。
青ざめ、震え上がる貴族たち。
私は彼らを見下ろし、もう一度、あの法案を掲げた。
「さて。……この法案に反対する方は、いらっしゃいますか?」
静寂。
誰も声を上げない。上げられない。
「反対がないようでしたら、全会一致で可決とさせていただきます」
私は書類にサインをし、議長席の印章を押した。
その瞬間、私は「悲劇の未亡人」から、法を超越した「独裁者」へと変貌した。
「連れて行きなさい」
私の命令一下、ガルドたちが貴族たちを乱暴に引き立てていく。
「放せ! 私は無実だ!」
「シルヴィア様、慈悲を! 我々はただ……!」
彼らの泣き叫ぶ声を聞きながら、私は胸のすくような、それでいて嘔吐しそうなほどの高揚感を感じていた。
ああ、これが「力」か。
アレンが持っていたような、人を惹きつける太陽のような力ではない。人を恐怖で縛り付け、ねじ伏せる、冷たく強大な力。
でも、今の私にはこれが必要だ。
アレンを奪った「悪意」に対抗するには、それ以上の「悪意」を持って踏み潰すしかないのだから。
***
その日の夕方。
執務室に戻った私は、一人で窓の外を見ていた。
広場には、新たな処刑台が組まれようとしている。明日の朝、バルモン侯爵たちの処刑が行われるのだ。
裁判はない。私の署名ひとつが、判決だ。
コンコン、と控えめなノックの音がした。
入ってきたのは、ミアだった。
彼女の手には、いつものようにティーセットが乗っている。だが、いつものように転んだり、お茶をこぼしたりはしなかった。
彼女の手は、震えていた。
「……シルヴィア様」
ミアが、泣き出しそうな声で私を呼ぶ。
「本当に……処刑なさるのですか? バルモン様たちを」
「ええ。彼らはアレンの死に関与していた疑いが強いわ。それに、私腹を肥やすために国に害をなしていた」
私は事務的に答えた。
ミアはカップを置くと、床に膝をつき、私のスカートの裾を掴んだ。
「お願いです、やめてください……! アレン様は、そんなこと望んでいません! 『無益な血は流さない』って、あんなに……!」
「ミア」
私は冷たく彼女の名を呼び、その手を払いのけた。
「アレンは死んだのよ」
「っ……」
「彼の優しさが、彼を殺したの。無益な血を流さない? ……アレンの血以上に、尊い血なんてこの世にないわ」
私は立ち上がり、ミアを見下ろした。
かつては家族のように笑い合った、愛しい侍女。
けれど今の彼女の涙は、私にはただ鬱陶しいだけのものに見えた。
「甘い考えは捨てなさい。優しさだけで国が守れるなら、アレンは死ななかった。……私は、鬼になるわ。アレンが愛したこの国から、彼を害する『毒』をすべて抜き取るまでは」
ミアは何も言えず、ただ床に突っ伏して泣いた。
私は彼女に背を向け、再び窓の外を見た。
夕闇が、王都を飲み込んでいく。
それは、私の心に広がる闇と同じ色をしていた。
(見ていて、アレン)
私は窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
そこにはもう、泣き虫な令嬢はいなかった。
あるのは、復讐の炎を瞳に宿した、冷酷な女王の顔だけ。
(あなたを殺した世界を、私が作り変えてみせる。……たとえ、それが地獄のような場所だとしても)
これが、粛清の夜明け。
救国の聖女が死に、処刑台の悪女が誕生した日だった。




