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愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
第4章:崩壊と狂気

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第25話 葬送の雨

 雨が降っていた。

 世界のすべてを灰色に塗り潰すような、冷たく、絶え間ない雨だった。


 私は、王都の大聖堂にいた。

 ほんの数日前、ここで愛を誓い、眩いばかりの祝福を浴びたはずの場所。

 ステンドグラスから差し込んでいた虹色の光は、今は厚い雲に遮られ、堂内は水底のように薄暗く沈んでいる。

 純白のウェディングドレスは、漆黒の喪服へと変わっていた。


「……これより、故アレン・ウィンスレット殿の葬儀を執り行います」


 神父の沈痛な声が、高い天井に反響する。

 並べられた参列者たちの席からは、押し殺したようなすすり泣きが波のように聞こえてくる。

 最前列に座る私は、ただ呆然と、目の前にあるものを凝視していた。


 黒塗りの、大きな棺。

 あの中に、アレンがいる。

 私の太陽だった人が、冷たく、動かなくなって、あの中に閉じ込められている。


(嘘みたい)


 心の一部が、他人事のように呟いた。

 これは悪い夢だ。

 目が覚めれば、いつものようにアレンが「おはよう、シルヴィア」と笑いかけてくれる。ミアが朝食の皿を割り、ガルドが豪快に笑い飛ばす、あの騒がしくて温かい朝が来るはずだ。


 けれど、膝の上で握りしめた手の震えが止まらない。

 何度瞬きをしても、目の前の黒い箱は消えない。

 現実という刃が、私の心臓をゆっくりと、確実に刻んでいく。


「シルヴィア様……」


 隣で、ミアが崩れ落ちるように泣いていた。

 彼女は私の手を握りしめ、私の代わりに涙を流してくれているようだった。

 反対側には、ガルドが仁王立ちしている。彼は決して泣かなかったが、食いしばった奥歯が砕けそうなほど強く噛み締められ、頬を伝う一筋の雫が、彼の慟哭を物語っていた。


 私は、泣けなかった。

 涙はあの日、あのアレンの亡骸の上で流し尽くしてしまったようだった。

 今の私の中にあるのは、砂漠のような乾きと、底なしの空虚だけ。


 式が進み、献花の時間になった。

 長い列が作られる。

 かつてアレンと共に戦った革命軍の兵士たち、救われた市民たち、遠方から駆けつけたウィンスレット領の村人たち。

 彼らは皆、棺の前で足を止め、花を手向け、肩を震わせていた。


「アレン様……。ありがとうございました」

「あなたがいたから、俺たちは……」

「早すぎます……。こんなの、あんまりだ……」


 聞こえてくる感謝と嘆きの言葉。

 誰もが彼を愛していた。誰もが彼を「英雄」と呼んだ。

 けれど、その「英雄」という称号が、私には呪いのように聞こえた。


 英雄になんて、ならなくてよかった。

 国なんて救わなくてよかった。

 ただの田舎貴族のアレンでいてくれれば。私だけの、アレンでいてくれれば。

 そうすれば、彼は今も私の隣で笑っていたかもしれないのに。


(……ごめんなさい。こんなことを考えたら、あなたが命を懸けた意味がなくなってしまうわね)


 私は唇を噛み、湧き上がる黒い感情を押し殺した。


 やがて、私の番が来た。

 ミアに支えられ、よろめきながら棺のそばへと歩み寄る。

 手には、一輪のシロツメクサ。

 王宮の庭師が用意した豪華な百合ではなく、彼が私にくれたのと同じ、野の花。


 棺の中の彼は、まるで眠っているようだった。

 死化粧を施され、血の気のない顔。けれど、その口元には微かに笑みが残っているように見えた。

 最後に見せてくれた、あの笑顔の残滓。


「……アレン」


 名前を呼んでも、返事はない。

 いつもなら、すぐに私の方を向き、愛おしそうに名前を呼び返してくれるのに。

 彼の頬に触れる。

 ひやりとした、石のような冷たさが、指先から心臓へと突き刺さる。


 ああ。

 いないんだ。

 どこにも、いないんだ。


 私の魂の半分が、永遠に失われてしまったことを、その冷たさが残酷なまでに突きつけてくる。


「……約束したじゃない」


 掠れた声が漏れた。


「一生守るって。ずっと一緒にいるって。……嘘つき」


 シロツメクサを、彼の胸の上、あの深紅に染まった傷跡を隠すように置いた。

 これが、二度目のプロポーズの返事。

 そして、永遠の別れの言葉。


「さようなら、私の愛しい人。……ゆっくり、休んで」


 私が下がると、棺の蓋が閉じられることになった。

 重い木の蓋が、アレンの顔を覆い隠していく。

 光が遮られ、彼が完全なる闇の向こう側へと行ってしまう。


「待って……!」


 思わず手が伸びた。

 閉ざさないで。彼を見えなくしないで。

 彼がいなくなったら、私はこの広い世界で、たった一人きりになってしまう。


 けれど、蓋は無情にも閉じられ、釘を打つ音が響き渡った。

 コン、コン、コン……。

 その乾いた音の一つ一つが、私と彼の世界を断絶するくさびのようだった。


 葬儀が終わり、棺が墓地へと運ばれていく。

 雨脚は強まり、参列者たちは泥にまみれながらその後を追う。

 王宮の裏手、かつて私たちがサンドイッチを食べた庭園が見下ろせる丘の上に、新しい墓所が作られていた。


 土がかけられていく。

 あの日、彼が命がけで守ったこの国の土が、彼を飲み込んでいく。

 私はそれを、ただ立ち尽くして見ていた。

 雨に打たれ、ドレスが重く張り付くのも気にならなかった。

 心の中の嵐に比べれば、この程度の雨など、小雨にも等しい。


 すべてが終わった後、人々は三々五々と散っていった。

 残されたのは、真新しい墓標と、私と、側近たちだけ。


「……シルヴィア様」

 ガルドが、絞り出すような声で言った。

「風邪を引きます。……戻りましょう」


「……ええ」


 私は機械的に頷き、踵を返した。

 一歩踏み出すたびに、足が鉛のように重い。

 アレンのいない世界を歩くことが、こんなにも苦痛だなんて。


 王宮の廊下を歩きながら、私はぼんやりと考えていた。

 アレンは、「生きて」と言った。

 「俺の分も」と。

 それは、私への最大の愛であり、そして最も残酷な呪いだった。


 どうやって生きればいいの?

 あなたがいないこの空虚な世界で、何をよすがに息をすればいいの?

 「革命の象徴」として? 「悲劇の未亡人」として?

 そんなもの、私はなりたくなかった。

 私はただ、アレンの妻になりたかっただけなのに。


「……少し、一人にして」


 自室の前で、私はミアとガルドを制した。

「でも、シルヴィア様……」

「お願い。……少しだけ、考えたいの」


 二人は心配そうに顔を見合わせたが、やがて深く一礼して下がっていった。

 私は部屋に入り、扉を閉めた。

 鍵をかける音だけが、静寂に響く。


 その瞬間、張り詰めていた糸が切れた。


 私はドアに背中を預けたまま、ズルズルと床に崩れ落ちた。

 膝を抱え、小さく丸まる。


「う……うぅ……」


 堰き止められていたものが、決壊した。

 嗚咽が漏れる。

 喉が張り裂けそうなほどの、激しい慟哭。


「アレン……アレン……ッ! 会いたい……会いたいよぉ……ッ!」


 誰もいない部屋で、私は子供のように泣き叫んだ。

 彼の名前を呼び続けた。

 何度呼んでも、優しい腕が私を抱きしめてくれることはない。温かい声が返ってくることもない。

 あるのは、冷たい雨音と、底知れない孤独だけ。


 私は知ってしまった。

 愛することの喜びよりも、失うことの絶望の方が、はるかに深く、重いことを。


 この夜、私は一生分の涙を流した。

 そして、その涙が涸れ果てた時――私の心には、ぽっかりと巨大な空洞が残された。

 何も感じない。何も響かない。

 ただ風が吹き抜けるだけの、虚無の穴。


 その穴が、やがてどす黒い何かで埋め尽くされる予兆など、まだ微塵も感じてはいなかった。

 今はただ、悲しみだけが、私の世界のすべてだった。

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