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愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
第3章:革命の戦火

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第22話 幸せすぎた日

 結婚式の前日は、これ以上ないほどの快晴だった。

 雲ひとつない青空がどこまでも高く広がり、柔らかな陽光が王都の石畳を白く輝かせている。風は穏やかで、どこからか甘い花の香りを運んできた。

 まるで世界そのものが、明日という日を祝福しているかのような、完璧な朝だった。


「アレン様ーっ! 起きてますかーっ!?」


 静寂を打ち破る元気な声と共に、ドアが勢いよく開かれた。

 予想通り、ミアだ。

 彼女は両手に抱えきれないほどの花束を持っていて、前が見えていない。


「わわっ、足元が……!」

「おい、気をつけろよ」


 俺がベッドから跳ね起きて支えるより早く、彼女は盛大にカーペットの縁につまずいた。

 バサァッ!

 色とりどりの花びらが宙を舞い、部屋中に散らばる。赤、白、黄色、ピンク。まるで俺の部屋に春が爆発したようだ。


「あうぅ……。またやっちゃいました……」

 花まみれになったミアが、べそをかきながら顔を上げる。

「せっかくシルヴィア様のお部屋と、アレン様のお部屋に飾ろうと思って、朝市で一番いいお花を買ってきたのにぃ……」


 その光景があまりにもおかしくて、俺は吹き出してしまった。

「ははは! 大丈夫だ、ミア。おかげで部屋が一気に華やかになったよ。これなら悪夢も見そうにない」

「むぅ、笑わないでくださいよぉ。……でも、綺麗ですね」


 彼女もつられて笑い出す。

 散らばった花びらの中に座り込んで笑い合う俺たちを、廊下を通りかかったガルドが呆れた顔で覗き込んだ。


「朝っぱらから何遊んでんだ。……明日は本番だぞ、新郎」

「分かってるよ。でも、緊張して強張ってるよりいいだろ?」

「違げえねえ。……ほら、手伝ってやるから片付けるぞ。シルヴィア様が見たら、花びらの絨毯を用意したのかと勘違いしちまう」


 ガルドが大きな手で花を拾い集め始める。

 かつては辺境の貧しい屋敷で、泥だらけになりながら床を拭いた仲間たち。

 場所が王宮に変わっても、着ている服が少し上等になっても、俺たちの関係は何一つ変わっていない。

 そのことが、どうしようもなく嬉しかった。


 朝食を終えると、俺たちは最終確認のために大聖堂へと向かった。

 王都の大通りは、明日の祝賀パレードの準備で活気に満ちていた。

 建物の窓には「雪原の花」の紋章旗と、紅白のリボンが飾られている。

 屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いや、甘い菓子の香りが漂い、子供たちがはしゃぎ回っている。


「見て、アレン。みんな笑ってるわ」


 隣を歩くシルヴィアが、フードの下で微笑んだ。

 お忍びでの視察ということで、彼女は目立たないように平民風の衣服を身につけている。けれど、その内側から滲み出る幸福感は隠しようもなく、すれ違う人々が思わず振り返るほど輝いていた。


「ああ。……本当に、平和になったんだな」


 俺は感慨深く街を見渡した。

 数ヶ月前、ここは圧政に苦しみ、恐怖に震える街だった。

 俺たちが剣を取り、血を流して勝ち取ったのは、この「当たり前の笑顔」だ。

 パン屋の店主が客と談笑し、花屋の娘が歌を口ずさみ、老人がベンチで日向ぼっこをしている。

 誰かに怯えることなく、明日を憂うことなく、ただ今日という日を楽しんでいる。


「ねえ、あのお店」

 シルヴィアが指差した先には、小さな雑貨屋があった。

 店頭には、揃いのマグカップや、可愛らしい刺繍の入ったクッションが並んでいる。

「新居にどうかしら? 辺境の屋敷に戻ったら、少し模様替えをしたいと思っていたの」


 彼女の言葉に、俺の胸が温かくなる。

 そう、俺たちの帰る場所は、あの辺境の屋敷だ。

 王都での責務が落ち着いたら、俺たちは領地へ戻り、一領主と、その妻として生きていく。


「いいな。あの青いカップ、君の瞳の色に似てる」

「じゃあ、赤い方はあなたの情熱の色ね」

「……恥ずかしいことを言うなよ」


 顔を見合わせて笑い、俺たちは店に入った。

 店主の老夫婦は俺たちの正体に気づかず、「若いってのはいいねえ」と微笑ましげにオマケをつけてくれた。

 買ったばかりの雑貨が入った紙袋を提げて歩く。

 ただそれだけのことが、こんなにも幸せだなんて知らなかった。

 剣を振るう重みではなく、生活の重み。

 俺の手の中にあるのは、未来への希望そのものだった。


 大聖堂でのリハーサルを終えた後、俺たちは王宮の庭園で遅い昼食をとることにした。

 かつて、俺たちが脱出のために飛び降りた、あのテラスの下だ。

 今は手入れの行き届いた芝生が広がり、色とりどりのバラが咲き乱れている。


「懐かしいわね。あの夜、ここを必死で走ったのが嘘みたい」

 シルヴィアがバスケットからサンドイッチを取り出しながら言う。

 彼女の手作りだ。少し形は不揃いだけど、具がたっぷりと挟まっている。


「あの時は必死だったからな。君を抱えて飛び降りた時、心臓が止まるかと思ったよ」

「ふふ。私、あのアレンの顔、一生忘れないわ。……必死で、怖がりで、でも誰よりも格好良かった」


 彼女はサンドイッチを俺の口元に運んでくれた。

 パクりとかぶりつく。卵とハムの素朴な味。

 辺境での貧しい暮らしの中で、彼女がミアに教わりながら一生懸命覚えてくれた味だ。


「……うまい」

「よかった。明日の朝食も、私が作るわね。花嫁修業の成果を見せなきゃ」

「楽しみにしてるよ。……でも、無理はするなよ? 式典で倒れたら大変だ」

「もう、心配性ね。私は頑丈になったのよ? アレンと一緒に畑を耕したんだもの」


 彼女は力こぶを作る仕草をして見せた。その腕は白く細いままだが、確かに以前より引き締まっている気がする。

 俺はその腕を引き寄せ、自分の唇を押し当てた。


「シルヴィア」

「なぁに?」

「……ありがとう。俺を選んでくれて」


 改めて口にすると、気恥ずかしさと共に、深い感謝が込み上げてくる。

 公爵令嬢だった彼女が、名もなき男爵の俺を選び、泥にまみれる人生を受け入れてくれた。

 その奇跡を、俺は一生かけて証明し続けなければならない。

 君の選択は間違いじゃなかったと。君は世界で一番幸せな女性なのだと。


 シルヴィアは少し驚いた顔をして、それから柔らかく目を細めた。

 彼女の手が、俺の頬に触れる。


「私こそよ、アレン。……私を見つけてくれて、ありがとう」


 彼女は俺の胸に顔を埋めた。

「私ね、今、怖いくらい幸せなの。……こんなに満たされて、不安になるくらい」

「不安?」

「ええ。……まるで、全部夢なんじゃないかって。目が覚めたら、あの冷たい王宮の部屋に一人でいて、全部幻だった……なんてことになったらどうしようって」


 彼女の体が微かに震えている。

 あまりに大きすぎる幸福は、時として人を臆病にさせる。

 俺も同じだった。

 この完璧な日々が、指の隙間から零れ落ちてしまうのではないかという、根拠のない恐怖。


 だから俺は、彼女をより強く抱きしめた。

 俺の体温を、鼓動を、存在のすべてを彼女に伝えるために。


「夢じゃない。絶対に、夢になんかさせない」


 俺は彼女の耳元で囁いた。


「明日になれば、俺たちは夫婦になる。神の前で誓いを立てて、誰も引き裂けない絆で結ばれるんだ。……そうしたら、もう不安なんてなくなるさ」

「……そうね。明日は、私たちの始まりの日だものね」


 シルヴィアが顔を上げ、涙ぐんだ目で微笑んだ。

 俺はその涙を指先で拭い、彼女の唇に口づけを落とした。

 甘く、優しく、そして長いキス。

 風がバラの香りを運び、木漏れ日が二人を包み込む。

 世界中が祝福してくれているようだった。


 夕暮れ時。

 明日の準備のために、俺たちはそれぞれの部屋に戻ることになった。

 伝統に従い、結婚式前夜は新郎新婦が顔を合わせてはいけないという、ガルドやミアの強い主張に押し切られた形だ。


「じゃあ、また明日。……祭壇の前で」

 部屋の前で、シルヴィアが名残惜しそうに手を振る。

「ああ。……明日の君は、きっと今日よりも綺麗なんだろうな」

「ふふ、ハードルを上げないで。……おやすみなさい、アレン」

「おやすみ、シルヴィア」


 ドアが閉まる直前、彼女はもう一度振り返り、最高の笑顔を見せてくれた。

 それは、俺の脳裏に永遠に焼き付くことになる、眩しすぎる笑顔だった。


 部屋に戻った俺は、ベッドに横たわってもなかなか寝付けなかった。

 興奮と、期待と、そして僅かな緊張。

 天井を見上げながら、俺は未来を思い描いていた。


 明日の結婚式。

 領地へ戻ってからの新婚生活。

 いつか生まれる子供たちの名前。

 白髪になっても手を繋いで散歩する老後の日々。


 すべてが輝いて見えた。

 障害はもう何もない。ジェラルドは幽閉され、旧貴族派も鳴りを潜めている。国は安定し、俺たちの未来は洋々たるものだ。

 そう信じて疑わなかった。


 窓の外を見る。

 満月が、静かに王都を照らしていた。

 あの日、逃避行の夜に見た月と同じ、美しい月だ。


「……幸せになろうな、シルヴィア」


 俺は独り言ちて、目を閉じた。

 明日が来るのが待ち遠しかった。

 最高の一日が、俺たちを待っているはずだった。


 ――運命の歯車が、音を立てて狂い始めるまで、あと数時間。


 あまりにも静かで、あまりにも幸せすぎた夜。

 それが、俺たちの最後の日々になるとは、神ならぬ身の俺には、知る由もなかった。

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