第19話 突入、玉座の間
白亜の王宮内は、怒号と悲鳴、そして剣戟の音で満たされていた。
かつて夜会で訪れた時は、あれほど煌びやかで、よそよそしかった回廊。
今は、革命軍の泥だらけのブーツによって踏みしめられ、壁に飾られた高価な絵画が衝撃で歪んでいる。
「どけぇッ! 邪魔する奴はぶっ飛ばすぞ!」
先頭を行くガルドが、丸太のような腕を振るう。
王宮を守る近衛兵たちが、まるで枯れ木のように吹き飛ばされていく。
彼の振るう大剣は、斬るというより叩き潰すための鈍器だ。
「ひ、ひぃぃっ! 化け物だ!」
「道を開けろ! 俺たちの用があるのは、この奥にいる馬鹿王子だけだ!」
俺は剣を振るい、襲いかかる兵士の剣を弾き飛ばす。
殺しはしない。峰打ちか、急所を外して戦闘不能にするだけだ。
無駄な血を流さないという誓いは、この乱戦の中でも守り抜く。
「アレン、あそこよ! あの大扉の向こうが『玉座の間』だわ!」
背後で守られているシルヴィアが指差した。
黄金の装飾が施された、巨大な両開きの扉。
あの日、俺たちが逃げ出した場所。そして今、全ての決着をつける場所。
「……ガルド、頼む」
「合点承知!」
ガルドが助走をつけて、扉に体当たりをかます。
ドォォォォン!!
轟音と共に、閂が砕け飛び、重厚な扉が左右に弾け飛んだ。
「お邪魔するぜ、殿下ァ!!」
俺たちは土足で、玉座の間へと踏み込んだ。
***
そこは、異様な静寂に包まれていた。
外の喧騒が嘘のように、広い空間は冷え冷えとしている。
真紅の絨毯の先。一段高い場所に設えられた黄金の玉座。
そこに、ジェラルド・アークライトは座っていた。
片手にワイングラスを持ち、まるで退屈な芝居でも眺めるかのように、頬杖をついている。
その顔には、焦りも恐怖もない。
あるのは、底知れない傲慢さと、他者を見下す冷たい瞳だけだ。
「……騒がしいな。どこのドブネズミが迷い込んだかと思えば」
ジェラルドは優雅な動作でグラスを傾けた。
「久しぶりだな、田舎者。それに、私の可愛い元婚約者殿」
その態度は、完全に俺たちを舐めきっていた。
一万の軍勢が降伏し、王城が包囲されているというのに、彼はまだ自分が「絶対的な支配者」であると疑っていないのだ。
「ジェラルド殿下」
シルヴィアが一歩前に出る。その声は凛として、震え一つない。
「お久しぶりです。……あなたに、お返しするものがあって参りました」
「返す? 私の慈悲をか?」
「いいえ。あなたが私に押し付けた、『汚名』と『絶望』です。それらをすべて、あなたにお返しします」
シルヴィアの瞳が、射抜くようにジェラルドを見据える。
ジェラルドの眉がピクリと動いた。
「……生意気な口を利くようになったな。以前は私の顔色を伺って、人形のように微笑んでいるだけの女だったくせに」
「ええ、そうでしたね。私は人形でした。あなたがそう望み、私がそう振る舞うことでしか、自分の価値を見出せなかったから」
彼女は俺の方をちらりと見て、愛おしげに微笑んだ。
「でも、今は違います。私には、私を見てくれる人がいる。私を必要としてくれる仲間がいる。……私はもう、あなたの飾り物ではありません」
「くだらん!」
ジェラルドがグラスを床に叩きつけた。
ガシャン! と赤い液体が飛び散り、絨毯を汚す。
「仲間だと? 愛だと? そんなもので国が動くか! 国を統べるのは『血』だ! 高貴なる王家の血統と、絶対的な権威だけが民を導くのだ! 貴様らのような下賤な輩が、一時的に勢いづいたところで、所詮は一時の祭り事よ!」
彼は立ち上がり、腰のサーベルを抜き放った。
その刀身には、最高級の魔石が埋め込まれ、怪しい光を放っている。
「近衛兵! 何をしている、こいつらを斬り捨てろ! 私の目の前からゴミを排除しろ!」
玉座の脇に控えていた近衛兵たちが、躊躇いがちに剣を抜く。
だが、その切っ先は震えていた。
彼らもまた、外の熱狂と、ジェラルドの狂気の狭間で揺れているのだ。
「……無駄ですよ、殿下」
俺は静かに剣を構え、前に進み出た。
「あなたの兵士たちは、もうあなたのために死のうとは思っていない。恐怖で縛り付けた忠誠心など、本当の危機の前では紙屑同然だ」
「黙れ黙れ黙れェ!! 私は王太子だぞ! この国の未来そのものだぞ! なぜだ、なぜどいつもこいつも私に従わない!」
ジェラルドが絶叫し、自ら切りかかってきた。
速い。
王族として英才教育を受けた剣技は、確かに洗練されている。
だが――
ガキンッ!
俺は彼の一撃を、真正面から受け止めた。
重い。けれど、押し負ける気はしなかった。
「軽いな、殿下」
「な、なに……!?」
俺は剣を押し返す。
毎日の農作業で、魔物との戦いで、そして何より「守るべきもの」の重みを知る俺の腕力に、温室育ちの剣が敵うはずがない。
「あなたの剣には、重みがない。誰も守ろうとせず、ただ自分のプライドのためだけに振るう剣なんて……俺には届かない!」
「ふざけるなあああッ!」
ジェラルドが剣を乱雑に振り回す。
優雅だった剣筋は乱れ、ただの子供の癇癪のような攻撃になる。
俺はそれらを冷静に見切り、紙一重でかわしていく。
一撃、二撃、三撃。
ジェラルドの息が上がり、動きが鈍る。
(ここだ!)
俺は大きく踏み込み、彼の手首を剣の腹で打ち据えた。
カラン、とサーベルが床に落ちる。
バランスを崩したジェラルドの喉元に、俺は切っ先を突きつけた。
「……終わりだ、ジェラルド」
玉座の間が、完全な静寂に包まれる。
王太子は、へたり込み、信じられないという顔で俺を見上げていた。
恐怖、屈辱、そして混乱。
「な、なぜだ……。私は選ばれた人間だぞ……。なぜ、こんな田舎貴族に……」
「あなたは、人を見なかったからだ」
俺は彼を見下ろして言った。
「領民は、あなたの道具じゃない。兵士は、あなたの駒じゃない。そしてシルヴィアは、あなたの飾り物じゃない。……彼らは皆、心を持った人間だ。その痛みを想像できないあなたに、王になる資格はない」
俺は剣を引かず、宣言した。
「チェックメイトだ。……降伏しろ」
ジェラルドの顔から、血の気が引いていく。
その時、入り口からドヤドヤと後続の革命軍がなだれ込んできた。
ライオット率いる元近衛騎士たち、そして農具を手にした領民たち。
彼らは、玉座の間を埋め尽くし、そして俺とジェラルドの姿を見て、一斉に拳を突き上げた。
「アレン様が勝ったぞおおおおおッ!!」
「独裁者は倒れた!」
「革命万歳!!」
地響きのような歓声が、王宮を揺るがす。
それは、新しい時代の幕開けを告げる、勝利の凱歌だった。
俺は剣を鞘に納め、シルヴィアの方を向いた。
彼女は、涙を流しながら、けれど満面の笑みで俺に駆け寄ってきた。
「アレン……!」
「終わったよ、シルヴィア。……俺たちの勝ちだ」
俺は彼女を強く抱きしめた。
泥と汗と、鉄の匂いがする戦場の中で。
俺たちは、確かな温もりを分かち合った。
こうして、長い戦いは終わった。
……はずだった。
俺たちはまだ知らなかった。
追い詰められた悪意が、最後の最後に、どれほど惨たらしい牙を剥くのかを。




