第17話 王都進撃
ウィンスレット領を出発した革命軍は、まるで雪山を転がり落ちる雪玉のように、その質量と勢いを増しながら街道を南下していた。
蹄の音が大地を揺らし、巻き上がる土煙が空を覆う。
当初は五百名ほどだった我らが軍勢は、進軍するたびに千、二千と膨れ上がり、今や三千を超える大軍となって王都を目指していた。
「圧政に苦しむ我らを救ってくれ!」
「アレン様! 俺たちも一緒に戦わせてください!」
「武器ならあります! この鍬一本で十分だ!」
通過する村や町から、男たちが、女たちが、老人までもが駆け寄ってくる。
彼らの目には、もはや恐怖の色はない。あるのは、長年の圧制に対する怒りと、ようやく現れた希望への渇望だった。
街道沿いの大きな宿場町、ベルガ。
交通の要所であり、王都防衛の要とも言えるこの町には、五百の王都軍が駐留していた。
本来ならば激戦が予想される場所だ。俺たちも相応の犠牲を覚悟して布陣していた。
だが――城門は、戦う前から開かれていた。
「ようこそ、革命軍の皆様! 我々は抵抗いたしません!」
白旗を掲げて現れたのは、この町の守備隊長だった。
彼は俺の前に進み出ると、腰の剣を外し、恭しく差し出した。
「ジェラルド殿下の暴虐には、我々兵士も心を痛めておりました。……そこへ、シルヴィア様からの書状が届いたのです」
「書状、ですか」
「はい。『無益な血を流す必要はない。あなた方が守るべきは、腐敗した王家ではなく、故郷で待つ家族のはずだ』……そのお言葉に、我々は目が覚めました」
隊長の目には涙が浮かんでいた。
俺は剣を受け取らず、彼の手を固く握り返した。
「英断に感謝します。……共に、家族の元へ帰れる国を作りましょう」
無血開城。
歓声が上がる中、俺は天幕の中へ戻り、そこで地図と睨めっこをしていたシルヴィアに報告した。
「……信じられない光景だ。ベルガまでもが、戦わずして降伏したよ」
シルヴィアは顔を上げ、ほう、と安堵の息を吐いた。
彼女の周りには、各地の領主や守備隊長たちへ送った書状の写しと、返信の山が築かれている。
彼女はこの進軍の間、揺れる馬車の中でペンを握り続け、剣の代わりに「言葉」で敵の戦意を削ぎ落としてきたのだ。
「ジェラルド殿下の求心力がここまで落ちていたなんて、私自身も驚いているわ。……でも、それだけみんな限界だったのね」
シルヴィアが少し疲れたように微笑む。
俺は彼女の隣に座り、温かいスープが入ったマグカップを差し出した。
彼女の手がカップを受け取ろうとして、微かに震えているのが見えた。
「……無理はしていないか? 顔色が少し白いぞ」
「平気よ。アドレナリンが出ているのかしら、全然眠くないの」
「嘘をつけ」
俺は彼女の震える手を、両手で包み込んだ。冷たい。
彼女は強がっているが、その細い肩には三千人の命と、国の未来という重圧がのしかかっているのだ。
「少し休もう。次の行軍まで時間がある」
「でも、補給の確認と、次の町への書状を……」
「それは俺がやる。君は、軍師である前に俺の婚約者だ。倒れられたら、俺が戦えない」
俺が真剣な顔で言うと、シルヴィアは目を丸くし、それからくすりと笑った。
「……ずるいわ、アレン。そんな風に言われたら、休まないわけにはいかないじゃない」
彼女は素直にスープを一口飲み、ふぅ、と息をついた。
緊張の糸が少しだけ緩んだのか、彼女は俺の肩に頭を預けてきた。
甘い髪の匂いが鼻をくすぐる。
戦場の血なまぐさい空気の中で、彼女の周りだけが、陽だまりのように暖かかった。
「ねえ、アレン」
「ん?」
「怖い?」
不意に、彼女が問いかけてきた。
俺は少し考えて、正直に答える。
「……ああ、怖いよ。足がすくみそうになる時がある。もし負けたら、もし君を守りきれなかったらと思うと、夜も眠れなくなる」
「私もよ」
シルヴィアが、俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「人が傷つくのを見るのは辛いわ。敵兵だって、誰かの息子で、誰かの父親かもしれない。……私の書いた手紙一つで、人の運命が変わってしまう。その責任の重さに、時々押しつぶされそうになるの」
彼女の声が震えている。
「聖女」とも「軍師」とも呼ばれる彼女だが、中身はただの、心優しい一人の女性なのだ。
俺は彼女の背中に腕を回し、抱き寄せた。
守りたい。この震えを、不安を、すべて消し去ってやりたい。
「俺がいる。君が背負いきれない重荷は、俺が半分持つ。……いや、全部俺に預けてくれてもいい」
「ふふ、それは頼もしすぎるわ。……でも、半分こでいいの。私たちはパートナーでしょう?」
彼女が顔を上げ、俺を見つめる。
その藍色の瞳に、俺の顔が映っていた。
「アレン。……この戦いが終わったら、何をしたい?」
唐突な質問に、俺は瞬きをした。
戦後のことなど、生き残ることだけで精一杯で、具体的に考えたことはなかった。
でも、彼女の瞳を見ていると、自然と言葉が溢れてきた。
「そうだな……」
俺は天井を見上げ、未来を夢想した。
「まずは、結婚式を挙げよう。中断してしまった、俺たちの式を。村のみんなを呼んで、盛大にやるんだ。ドレスは、君に一番似合う最高のものを用意する」
「まあ。……楽しみね」
「それから、領地に戻って、今度こそゆっくりと暮らすんだ。朝は遅くまで寝ていても誰も文句を言わない。昼は君とサンドイッチを持ってピクニックをして、夜は……」
言葉を濁すと、シルヴィアが顔を真っ赤にして、俺の胸を軽く叩いた。
「もう! ……でも、素敵ね」
彼女は夢見るような目をして、続けた。
「私はね、パンを焼きたいわ。ミアに教わって、もっと上手になりたいの。それから、庭に花をたくさん植えましょう。シロツメクサだけじゃなくて、バラも、ユリも」
「いいな。俺は、その横で昼寝をするよ」
「駄目よ、ちゃんと水やりを手伝って」
他愛のない、平和な未来の設計図。
今はまだ、夢物語でしかない。
けれど、言葉にすることで、それは確かな「目標」に変わった。
「絶対に、叶えましょうね」
「ああ。約束だ」
俺たちは、互いの体温を確かめ合うように、唇を重ねた。
深く、長く、切ない口づけ。
テントの外からは、兵士たちの談笑や、武器を研ぐ音が聞こえてくる。
明日にはまた、命のやり取りが待っているかもしれない。
けれど今この瞬間だけは、世界には俺たち二人しかいないようだった。
この幸せを、手放したくない。
そのためなら、俺は鬼にでも悪魔にでもなれる。
強く、強くそう思った。
***
翌日。
革命軍はついに、王都を望む最後の丘陵地帯へと到達した。
峠を越えた瞬間、視界が一気に開ける。
「見ろ! 王都だ!」
「ついにここまで来たぞ!」
兵士たちの間から、どよめきと歓声が沸き起こる。
眼下には、広大な平原の先に、巨大な城壁に囲まれた王都セレスティアが鎮座していた。
幾多の塔が天を突き、中央には白亜の王宮が威容を誇っている。かつて俺たちが逃げ出した、あの場所だ。
だが、感傷に浸っている余裕はなかった。
王都の城壁の前には、黒い染みのような大軍が展開していたのだ。
ジェラルド王太子が、最後の頼みの綱として集めた正規軍。
重装騎兵、長槍部隊、そして魔導兵器と思われる巨大な影。
その数、およそ一万。
数ではこちらがわずかに勝っているかもしれないが、装備と練度では相手が圧倒的に上だ。寄せ集めの義勇兵で、真正面からぶつかれば砕け散る。
「……壮観だな。吐き気がするぜ」
隣で馬を並べるガルドが、大剣を担ぎ直して毒づいた。
「相手は必死だ。ネズミだって追い詰められりゃ猫を噛む。ましてや腐っても王国の精鋭だ。油断は禁物だぜ、坊ちゃん」
「ああ、分かっている」
俺は手綱を引き締め、振り返った。
馬車から降りてきたシルヴィアが、王都の景色を見つめて立ち尽くしている。
風が彼女の銀髪を激しく煽る。
「……懐かしい景色。でも、今はあそこが魔王の城に見えるわ」
彼女の声は震えていたが、その瞳に迷いはなかった。
「あの中に、ジェラルドがいる。……私たちの過去と、決着をつける時が来たのね」
「俺たちが、あそこを人間の手に取り戻すんだ」
俺は馬首を巡らせ、全軍に向かって剣を高く掲げた。
三千の瞳が、俺を見上げる。
彼らは皆、泥だらけで、傷だらけで、けれど希望に満ちた顔をしていた。
「聞け、革命軍の勇士たちよ!」
俺の声が、平原の風に乗って響き渡る。
「目の前にあるのは、俺たちを苦しめてきた元凶だ! 奴らは俺たちから自由を奪い、誇りを奪い、未来を奪おうとした! だが、もう終わりだ!」
オオオオッ!! と、どよめきが広がる。
「あの中には、まだ多くの民衆がいる! 彼らもまた、俺たちと同じように解放を待っている仲間だ! 我々の敵は、王宮に巣食う一部の特権階級のみ!」
俺は剣先を、白亜の王宮へと向けた。
「無益な殺生はするな! だが、立ちはだかる敵には容赦するな! 俺たちの未来を、愛する者たちの笑顔を、この手で掴み取るぞ!」
突撃ィィィッ!!
地鳴りのような喚声が上がり、革命軍が動き出した。
大地を揺るがす行軍。
目指すは王城。全ての決着をつけるため、俺たちは最後の進撃を開始した。
馬上で並んで走るシルヴィアの横顔を見ながら、俺は心の中で繰り返した。
(勝つ。絶対に勝って、君との約束を果たすんだ)
(結婚式を挙げよう。パンを焼いて、花を育てて、子供たちの笑い声に包まれて……そんな当たり前の幸せを、君に贈るんだ)
その決意が、皮肉にも悲劇へのカウントダウンを進めているとは知らずに。
俺たちは、運命の地へと踏み込んだ。




