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愛する貴方を殺した世界を、私は許さない ~救国の聖女だった私が、処刑台の悪女になるまで~  作者: ぱる子
第2章:愛の芽生えと開拓の日々

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第10話 星降る丘の約束

 祭りの喧騒が、遠い潮騒のように聞こえていた。


 俺たちは手を繋ぎ、息を切らせて丘を登りきった。

 ここは領地で一番高い場所。昼間は畑や森を一望できるその場所は今、降るような星空の下でひっそりと静まり返っている。


「……ふふ、あんなに走ったの、逃避行の夜以来ね」


 シルヴィアが胸を押さえ、楽しそうに笑う。

 乱れた銀髪が夜風に揺れ、月光を浴びてキラキラと輝いている。頬の紅潮は運動のせいか、それとも酔いのせいか。

 どちらにせよ、今の彼女は、この世の何よりも美しかった。


「ああ。でも、あの時とは違う」


 俺は彼女の隣に立ち、眼下に広がる村を見下ろした。

 闇の中に浮かぶ、無数の松明の灯り。そこから立ち上る煙と、かすかに聞こえる笑い声や音楽。

 あの夜、俺たちは「追われる者」として闇の中を走った。

 けれど今は、守るべき「帰る場所」を見下ろしている。


「……綺麗ね」

 シルヴィアが呟いた。

「王都の夜景は、もっと煌びやかだったわ。宝石を撒き散らしたみたいに。でも……ここの灯りの方が、ずっと温かい気がする」


 彼女は俺の方を向き、その瞳に俺を映した。

 藍色の瞳の中にも、満天の星が宿っているようだった。


「私、ここに来て本当によかった。アレン、あなたのおかげで、私は初めて『生きている』って感じられたの」


 その言葉が、俺の胸を締め付ける。

 感謝したいのは俺の方だ。

 彼女がいなければ、この領地は冬を越せずに潰れていただろう。俺もまた、無力感に押しつぶされていたかもしれない。

 彼女が俺を「領主」にしてくれた。俺を「男」にしてくれた。


 風が吹き抜け、彼女が小さく身震いした。

 俺は無言で彼女の肩を抱き寄せ、自分の体温を分けた。

 華奢な肩。触れれば折れてしまいそうなほど細いのに、その内側には鋼のような強さを秘めている。


(……今しか、ない)


 心臓が、早鐘を打つ。

 戦場で剣を構える時よりも、はるかに緊張していた。

 俺はポケットの中に手を入れ、ずっと隠し持っていた「それ」を握りしめた。


「シルヴィア」

「なぁに?」


 俺は彼女の前に立ち、その両手を取った。

 泥と日焼けで少し荒れた、けれど世界で一番愛おしい手。


「俺は……しがない田舎貴族だ。剣の腕と、土を耕す体力くらいしか取り柄がない。君が王宮で受けていたような扱いは、一生してやれないかもしれない」


 言葉が詰まる。もっと格好いい台詞を用意していたはずなのに、頭が真っ白だ。

 でも、飾るのはやめた。

 今の俺にあるのは、この身一つと、溢れ出しそうな想いだけだ。


「ドレスも、宝石も、贅沢な料理も……すぐには用意できない。これからも苦労をかけると思う。君のその綺麗な手を、もっと汚させてしまうかもしれない」


 シルヴィアは何も言わず、ただ静かに俺を見つめている。

 俺は深呼吸をして、続けた。


「でも、約束する。……君を、絶対に一人にはしない」


 俺はポケットから、小さな指輪を取り出した。

 それは、昼間の休憩時間に、俺がこっそりと編んだものだ。

 野に咲く白いシロツメクサと、丈夫な蔦を編み込んで作った、不格好な指輪。

 宝石などついていない。市場で売れば銅貨一枚にもならないだろう。


 けれど、それを見た瞬間、シルヴィアが息を呑むのが分かった。


「俺の命が続く限り、君を守る。君が泣く時は俺が涙を拭うし、君が笑う時は俺も隣で笑う。……君の居場所を、俺が守り抜く」


 俺は片膝をつき、その指輪を掲げた。

 王太子に仕える騎士の礼ではない。

 一人の男として、愛する女性に捧げる、最初で最後の求婚の姿勢。


「シルヴィア・フォン・ローゼン。……いや、シルヴィア」


 俺は震える声で、問いかけた。


「俺と、結婚してくれませんか。……一生、俺のそばで生きてほしい」


 時が止まったようだった。

 風の音も、祭りの喧騒も、すべてが遠のいていく。

 世界には今、俺と彼女、二人しかいない。


 シルヴィアの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

 それは頬を伝い、顎から滴り落ちて、星屑のように輝いた。


「……ずるいわ、アレン」


 彼女は泣き笑いのような表情で、震える声を絞り出した。


「そんな……野の花の指輪なんて。王宮のどんなダイヤモンドよりも……素敵じゃない」


 彼女は右手を差し出した。

 その薬指が、微かに震えている。


「……はい。……はいっ!」


 俺は震える手で、彼女の薬指に指輪を通した。

 サイズは少し大きかったけれど、白い花は彼女の指によく似合っていた。

 彼女の手を握りしめ、立ち上がる。

 シルヴィアが、飛び込むように俺の胸に抱きついてきた。


「嬉しい……! 私、こんなに幸せでいいのかしら……!」

「いいに決まってる。君は誰より幸せになる権利があるんだ」


 俺は彼女を強く抱きしめ返した。

 華奢な体。甘い香り。ドクドクと伝わってくる鼓動。

 そのすべてが、俺のものだ。そして俺のすべては、彼女のものだ。


「愛してる、シルヴィア」

「私も……愛してるわ、アレン。世界で一番、愛してる」


 彼女が顔を上げる。

 涙に濡れた瞳が、月明かりを反射して潤んでいる。

 俺は吸い寄せられるように顔を近づけ――そっと、唇を重ねた。


 柔らかく、温かい感触。

 しょっぱい涙の味がした。けれどそれは、どんな美酒よりも甘美だった。


 夜空には、満天の星が輝いている。

 まるで、俺たちの誓いを祝福する、無数の光のシャワーのように。


「……帰ろうか、俺たちの家に」

「ええ。……あなたと一緒なら、どこへでも」


 俺たちは手を繋ぎ、丘を降り始めた。

 指に嵌められたシロツメクサの指輪が、白く浮かび上がっている。

 二人の影が、月明かりの下で一つに重なる。


 この幸せが、永遠に続くと信じていた。

 貧しくとも、困難があろうとも、二人なら乗り越えられると。

 この手を離すことなど、死ぬまであり得ないと。


 そう、信じていたんだ。


 ――だが、運命は残酷だった。

 この丘の向こうから、黒い影が忍び寄っていることに、俺たちはまだ気づいていなかった。

 王都からの使者。

 理不尽な暴力。

 そして、血塗られた未来が、すぐそこまで迫っていた。

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