第1話 断頭台の走馬灯
「殺せ! この悪女め!」 「俺たちの国を返せ!」 「地獄へ堕ちろ、魔女シルヴィア!」
ガンッ、と鈍い音がして、こめかみに熱いものが走った。投げつけられた石礫だ。頬を伝う温かい液体が、こびりついた泥と混ざり合って顎から滴り落ちる。
(ああ……うるさいわね)
鼓膜を叩くのは、何千、何万という人間が吐き出す呪詛の嵐。王都の中央広場。かつて私が、愛する人と並んで「革命の勝利」を高らかに宣言し、万雷の拍手を浴びたこの場所は――いまや、私一人のための処刑場と化していた。
私――シルヴィア・フォン・ローゼンは、断頭台へと続く階段を一段ずつ上っていく。
ジャラリ。ジャラリ。
足首に嵌められた重たい鉄の枷が、歩むたびに冷たい音を立てる。後ろ手に拘束された手首は、粗い縄が肉に食い込み、とっくに感覚なんてない。ボロボロになった漆黒のドレスは、かつて私が「女王」として君臨した証。でも今は、ただの薄汚れた囚人服でしかない。
「よくも俺の家族を!」 「アレン様の仇だ! 貴様ごときがアレン様の名を口にするな!」
罵声の波が、容赦なく私を打ち据える。かつて私を「聖女」と崇め、ひざまずいて祈りを捧げた彼らの瞳。そこに宿っているのは、いまやドス黒い殺意だけ。
当然だわ。私がそう仕向けたのだから。
焼き尽くしたのだ。最愛のアレンを奪ったこの国を。民を。秩序を。彼がその命を賭して守ろうとしたすべてを、私自身のこの手で、徹底的に壊したのだから。
階段を上りきると、そこには粗末な木の台と、顔を隠した大柄な執行人が待っていた。 眼下に広がるのは、憎悪に歪んだ人々の海。その彼方には、私が焼き払った王宮の残骸が、黒い墓標のように煤けて佇んでいる。
「……罪人、シルヴィア」
執行人の男が、感情の抜け落ちた事務的な声で問うた。
「最後に言い残すことはあるか」
私はゆっくりと顔を上げ、鉛色の空を見上げた。分厚い雲の隙間から、一筋の光すら射さない。まるで、世界そのものが私を拒絶しているようだ。
言い残すこと? 今さら?
謝罪? 後悔? それとも、見苦しい命乞い? いいえ、そんなものは一つもない。私の心にあるのは、ただ底なしの虚無と――ようやく訪れる「終わり」への安堵だけ。
「……早くして」
枯れ果てた喉から絞り出した声は、自分でも驚くほど静かで、穏やかだった。
「あの人が、待っているの」
私の言葉に、執行人は顔をしかめた。呆れたような、あるいは化け物を見るような目で私を一瞥すると、無言で巨大な斧を持ち上げる。
「殺せえええええ!!」 「死ね! 死ね! 死ね!」
群衆のボルテージが最高潮に達する。大地を揺るがすような怒号。ギラリと、鈍い光を放つ刃が頭上で止まった。
私は、ゆっくりと目を閉じた。暗闇の中で、私の心臓だけがトクン、トクンと早鐘を打っている。
怖い? いいえ。
寂しい? いいえ。
ただ、愛おしい。やっと、行ける。やっと、終わる。
執行人の腕が動く気配。風を切り裂く音が迫り、死の冷気が首筋を撫でた――その刹那。
プツン。
世界から、音が消えた。怒号も、風の音も、心臓の音さえも遠のき、スローモーションのように引き伸ばされた時間の中で、私の視界に、鮮烈な色彩が蘇る。
――鼻をくすぐる、甘く芳醇な香水の香り。――煌びやかに輝くシャンデリアの、目が眩むような光の粒。――優雅に奏でられるワルツの旋律と、グラスが触れ合う軽やかな音。
そして、あの日。すべてを失った私が、すべてを手に入れた日。運命の歯車が狂い出し、私たちが初めて出会った、あの夜会の光景。
(アレン……。ねえ、覚えている?)
断頭台の冷たい感触と共に、私の意識は過去へと遡る。
まだ何も失っていなかった。まだ、世界が美しかった。
そして、貴方と出会い、どうしようもなく恋に落ちた、あの日へ――。




