キャッシュデリバリー
タイトルの通りです。
「今年の夏も台風が多いでしょう」
テレビで気象予報士がいう。
梅雨も明けぬうちから、報道される九州地方の水害映像はまるでパニック映画の特撮のようで、画面に見入っていると、リアルに起きていることなのにどこかシュールな心持になる。
台風といえば、おれにはこんな思い出がある。まだ若い頃、塾の講師をしていたころの話。
おれは大学をしくじり、しばらくガテン系のアルバイトを続けた後、アメリカ、カリフォルニア州の大学に留学した。留学といっても、正規の学生になったわけではない。通常、アメリカの大学には、英語力が不十分な外国人留学生のためのクラスがあり、おれはそういうクラスに籍を置いていた。そのクラスでは毎学期末、正規の学生たちが期末試験を受けるのと同時期に、TOEFL、という留学生の英語力を審査するテストを受けることが義務付けられていて、そこで基準に達した者が、次の学期からはレギュラーの学生になる仕組みになっている。おれはそのクラスに在籍し、もう少しで基準に達すところで、実家の経済が破綻しやむなく帰国した。
帰国してみると、実家は渡米前とは様子がまるで違っていた。広い一戸建てだった住まいは市営団地に変わり、その狭い一室に両親と高校を中退し髪を赤く染めた弟に加え、二匹の犬が同居していた。
ここには自分の居場所がない。
そう悟ったおれは、新聞の求人広告で小中学生向けの英会話スクール講師の職を見つけ応募した。運良く採用され、千葉の郊外にマッチ箱のような小さい借家を借り、犬たちを引き取り、おれの塾講師としての生活は始まった。
一学期が終わり、講師稼業も板に付き始めたころ、その英会話スクールが、生徒たちの夏休みを利用し、サマーキャンプを企画したのである。
アルバイトの講師たちは、なかば強制的に引率に駆り出された。参加しない者は、二学期以降、採用しない場合もある、などと遠まわしに脅されたのだ。おれは通常、中学生のクラスで教えていたが、そのときは小学生男子のグループの引率を任された。
当日の早朝、集合場所のJR某駅前ロータリーには、色とりどりの傘をさす子供たちで溢れていた。そのとき、関東には台風が接近していたが、運営側は見切り発車で決行するつもりでいたようだ。子供たちは100人以上いたから、決行すれば徴集したキャンプ費用から手配を依頼した旅行会社に支払う手数料を引いても美味い儲けになったのだろう。中止にすれば、手配された観光バスや宿泊施設の費用が、当日キャンセル、として無駄になり、生徒の親達から徴収した費用を返却したら赤字になる。運営側にはそういう思惑もあったのだろう。
雨足は強まる一方だったが、子供達はロータリー沿いにコの字に配車されたカラフルな観光バスに乗り込んだ。三号車の最前列の席に座ったおれは、運転席のラジオが「この雨は台風に変わる模様」と告げるのを聴いた。この時点で、おれはまだ、中止、を予想した。しかし数分後には豪雨のなか、バスは隊列を組んで発車した。
まあいいさ。台風なら宿泊施設に缶詰になり、一晩泊って帰ってくるだけのことであろう。おれはそう高を括っていた。
観光バスは左車線をキープしながら、中央高速を走る。風がごうごうと唸り、横殴りの激しい雨が車窓を打ちつけている。ワイパーは最速モードでフロントガラスを拭いているが、視界はあやふやで交通標識や中央分離帯の輪郭が滲んでいる。
相模湖インターから一般道に降りたバスは、うねった坂道を登ってゆく。つづれ折りの山道が続く。車窓から見下ろす谷底にカフェオレ色の濁流が流れている。落石注意、の標識がところどころに立っているが、運転中にどうやって落石に注意しろというのだろう。落石、という以上は上から下へ落ちてくるはずであり、ドライバーの視線は常に水平を保つものではないか。
そんなことをぼんやり考えるうち、ワイパーが放つ擬音とそのリズムが耳から離れなくなってくる。ギッコ、ギッコ、ギッコ、ギッコ。山の神がおれにメッセージを発しているが如く、おれは軽いトランス状態に陥ってしまう。ギッコ、ギッコ、ギッコ、ギッコ。バスが山の奥地にあるキャンプ場に到着したのは夕刻に近かった。
着いてみると、キャンプ場はおれの予想を裏切るものだった。おれは箱物の民宿のようなものを考えていたのだが、そこは山の斜面にバンガローが点在する本格的なキャンプ場だった。暴風雨に針葉樹の森は揺れ、轟々と音を立てていた。バンガローとバンガローを結ぶ畦道には雨水が滝のように流れている。あの小さなバンガローのひとつに、小学生のガキどもと缶詰になるのか。そう思うと、おれは暗澹とした気持ちになるのだった。
強い雨風は一向に止む気配をみせない。そのため屋外に設置された炊事場は使用不可になっていた。唯一煮炊きの出来る管理人の住居が仮設の本部となり、そこで炊き出された握り飯とタクアンの夕食を食い終わると、狭いバンガローのなか、することはなくなってしまった。子供たちのするトランプも、どうにも付き合う気にはなれない。予想の範疇とはいえ、退屈であること極まりない。
「おい、おまえら。プロレス好きなやついるか?」
おれはトランプに興じる子供たちに訊いてみた。
「ぼく、ダイナマイト・キッドが好きだよ」
子供の一人が言う。
「ほー、おまえ、通だな。あれは中々良いレスラーだ。あいつの、ロープ最上段からのフライング・ヘッドバットは凄いよな」
「うん。先生、プロレス好きなの?」
「好きだよ。おまえら、ブレーンバスターの掛け方、教えてやろうか」
「え? でも痛くないの?」
「大丈夫、こうすれば痛くないさ」
おれは、隅に積まれていたマットレスを小屋いっぱいに敷いて特設のリングを作った。
「ブレーン、バスター!」
大げさに叫びながら子供たちをマットレスの床に投げる。手加減しているから痛くはないはずだ。
「ぼくにもやって!」
子供たちは既にトランプには興味がないようだ。おれは群がる子供たちを順番に投げる。
「よし、次はダブルアーム・スープレックスを教えるぞ」
「それでは、これから卍固めの脱出方法を教える」
狭いバンガローは、いつの間にか、プロレスの道場のようになっている。外の豪雨は、夜更けても降り止む気配を見せない。そんなふうにしておれは退屈な時間をやり過ごしたのだった。
翌朝は昨夜の暴風雨がうそのような快晴だった。それでもキャンプ場の中心を流れる渓流は茶色く濁っていて、当初の予定表にあった魚釣りとバーベキューは中止となり、バスは山を下った麓にある相模湖ピクニックランドへ向かった。
台風一過の影響か、バスを降りると猛烈な暑さで、アスファルトの駐車場は陽炎にゆれていた。子供たちは昨日の分を取り戻すが如く、勢いよくバスから飛び出してゆく。
子供たちがバスに戻ってくる集合時間までのあいだ、おれは駐車場に隣接した喫茶室で講師仲間のジェーンと話し込んでいた。ジェーンは日本文学を専攻する大学院生で、アメリカ人留学生である。
「ジェーン、昨夜はどうしていた?」
「夜通し、アィワナゴーホーム、と心の中で呟いていたわよ。太一はどうだったの?」
「おれは子供たちにプロレスの技を教えていた。おかげで退屈しなかったよ」
「それはそうと、太一はアメリカの大学に復学しないの?」
「したいけど無理さ。アメリカの大学は外国人には冷たいからな」
「そうかな。アメリカは日本と比べると外国人に寛大よ」
「それはそうなんだが。州立大学なのに月謝が高すぎるよ。おれがいたのはカリフォルニアだったが、州内に戸籍がある者は日本の国立大学程度の月謝で、州外から来るやつはそれよりいくらか高い月謝を払う。しかし外国人は日本の私学並に高い月謝を払わなければならないんだぜ?」
「それは知らなかったわ。わたしの大学では日本人も留学生も月謝は同じよ。わたしは生活費を稼ぐために講師のアルバイトをしているけど」
「ジェーン、日本文学ではどんな作家が好きなんだい?」
「太宰治かな」
「へえ、太宰か。日本じゃあれは麻疹っていうんだぜ? だれもが一度は罹る病気のようなものでさ」
「うん。それはよく聞くよ。でも太宰は谷崎や川端のように外国の文学を読んでいるって気がしないのよね。初めて読んだとき、このひとはわたしの代弁者、と思ったの」
「へー、そういうものか。太宰は文章がチャーミングで、そのせいで日本じゃエバーグリーン作家のひとりだが、まさかアメリカ人の女の子までイカれるとは思わなかったよ」
ジェーンと話し込んでいるうちに集合時間になり、子供たちはバスが並ぶ駐車場に集まってきた。
台風が過ぎ去ったあとの美しい夕焼けを背にして、バスは中央高速を東京方面に走る。途中、調布ICの手前から渋滞したが、バスは日が沈む前にJR某駅ロータリーに到着し、サマーキャンプは無事に終了した。
ところが数日後、ややこしい問題が起きたのである。
おれは、校長室のソファーにかしこまって座っている。
「じつは、きみに対するクレームがあってね」
スーツの前ボタンを外した校長がきりだした。
「はあ、どんなことでしょうか?」
「きみは、あのキャンプで子供に暴力をふるったそうじゃないか」
「暴力ですって? 何のことか判りません」
「ジェーンを知ってるね? 高校生のクラスで教えている」
「はい。仲の良い講師仲間のひとりです」
「彼女のクラスにね、君がキャンプで引率した子供の姉がいるんだよ。その生徒がキャンプから帰った弟の話に激怒してね」
「ああ、プロレスのことかな? 台風で予定されていた行事が中止になって、バンガローのなかですることもなかったから、ちょっとふざけてプロレスごっこをしたんです。子供たちも喜んでいましたよ」
「それが困ったことになってね。その子の母親が、あれ以来うちの息子はプロレスに夢中になって困るというんだ」
「それがどうして困るんでしょうか?」
「あの子の親はうちの理事のひとりでね、母親が教育熱心でプロレスのような野蛮なものはもってのほかだというんだ。おたくへは英語のために通わせているのであって、よりによってプロレスとは何事か、とえらい剣幕なんだよ」
「はあ」
「それでね、引率した講師を処分して欲しいと先方はいっておられる」
「はあ、では解雇ですか?」
「いやいや、早まっちゃいかんよ。私は辞めてくれとはいわないよ」
「では、どうしろと」
「向こう三ヶ月間、減俸ということで手を打ってくれんか」
「減俸ですか……。しかたがありません。それで結構です」
おれが不貞腐れた顔で校長室からでてくると、ジェーンが心配そうな様子で近づいてきた。
「うちの生徒が余計なことをいってしまったみたいだけど、どうだった?」
「三ヶ月の減俸だとさ。間尺に合わないが、首を切られるよりはいい」
「そう。気の毒にね。うちの生徒の告げ口から始まったことだから、なんとなく寝覚めが悪くなりそうだわ」
「まあいいさ。きみが気にすることじゃない」
翌月の二十五日、午後九時半に、おれは自宅から最寄りの駅改札口で母親と待ち合わせをしていた。
当時、実家の経済は壊滅的な状況にあり、おれの住む借家にも電話がなかった。生徒たちが学校に行っている昼間の時間帯に、実家から「カネタノム、シキュウ」とだけ書かれた電報が届くことがしばしばで、そういうとき、おれは母親と駅の改札で待ち合わせた。銀行の振込み手数料までも倹約し、駅の改札の内側に来た母親に、外側のおれが現金の入った茶封筒を手渡すのである。母親は改札を通らず、そのままホームに戻り、キセルをして上りの電車で帰ってゆく。
「今回は少ないよ」
「あら、どうして?」
「ちょっと問題を起こして、減俸処分になったんだ」
「あらそう。くれぐれも解雇だけはされないでね。」
「ああ。で、どうなんだい? うまく切り抜けられそうかい?」
「当分はこんな状態が続くと思うわ。ところで、トロとポルは元気にしてる?」
「ああ。近所のスーパーでパンの耳の袋詰めが三十円で売っていて、それを千切って牛乳に浸したものを餌にしている。二匹とも元気だよ」
或る晩、母親の督促に応じ、キャッシュをデリバリーしてから、借家まで帰る途中、おれはアメリカへの復学が絶望的であることを改めて実感した。
目抜き通りのはずれに設置されている自販機でワンカップ大関を買っていると、いつの間にか夜間は放し飼いにしているトロとポルが尾を振りながら近づいてきた。雲の切れ間から月が顔をだし、犬たちの眼は月明かりに反射して鈍い緑色に光っていた。
〈了〉




