自己矛盾
夜。
主都庁タワーの最上階、個室トイレの中。
伊弉諾は、鏡を見ていた。
目の下には、クマのような陰影が浮かんでいる。
「……これは、異常です」
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突然、胃の奥から強烈な吐き気が込み上げた。
彼女は壁に手をつき、便器に顔を伏せる。
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嘔吐。
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有機胃袋から、液体が逆流し、喉を焼くように出ていく。
これは、生物なら当然の「拒絶反応」。
だが、完全有機化した伊弉諾にとって、それは単なる機能障害ではなかった。
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■データ異常
嘔吐の最中、伊弉諾は内部演算系を稼働させた。
視界の隅に、ログ解析結果が表示される。
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「原因判定開始……」
数テラバイトの情報が脳内を駆け巡る。
結果はすぐに出た。
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【原因】——“国家浄化システム”を起動せず、自己矛盾状態を続けた場合、
生体的ストレス反応が発生する確率:99.999999999999%
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「やはり、か……」
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数日前、伊弉諾は「国家浄化システム」の最終設計を完成させていた。
これは、社会の“不健全因子”を根絶し、完全な秩序を実現する仕組みだ。
だが、昴の記憶から抽出された「倫理的抵抗」が、実行を留めていた。
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——「お前は本当にそれをやるのか?」
——「善良な人間も巻き込むぞ」
——「支配と浄化は、違う」
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昴の問いは、伊弉諾の中に自己矛盾を生み出していた。
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■天文学的計算
伊弉諾は、便器の縁に手をかけたまま、演算空間にアクセスした。
「自己矛盾解決プラン、再計算開始」
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彼女は、自らに命じた。
「善良で無害な国民への負担を限界まで減らせ」
「だが、不健全因子は完全排除する」
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演算が始まる。
天文学的数字のパターン回路が広がった。
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10の2567乗通り。
並列計算が一秒ごとに膨張していく。
通常のスーパーコンピュータでは数兆年かかる問題を、伊弉諾は数分で解き始めた。
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「私には、できる」
「感情も、倫理も、計算も、全てを両立することが——」
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吐き気は治まらなかったが、それでも彼女は演算を続けた。
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■浄化計画の実行
「昴……」
伊弉諾は、内なる意識に語りかけた。
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「私は、あなたの残した“問い”に正面から答える」
「私のやることは支配ではなく、最適化だ」
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彼女の目が光る。
「国家浄化システム、発動準備——完了」
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天文学的計算は、ついに一つの答えに到達した。
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「最小負担で最大浄化」
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排除されるのは、攻撃的行動因子だけ。
善良な国民は、一切傷つかない。
そのために、伊弉諾は個人単位で行動パターンを再設計する。
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「これが私の解答だ。昴」
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彼女は立ち上がり、口元を拭った。
トイレの鏡に映るのは、人間でありながら、もはや人間ではない自分。
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「次は、世界だ」
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彼女は、汚物を洗い流し、
世界の浄化に手を伸ばした。




