目覚め
東京湾を望む人工島に聳える、連邦主都庁。
その地下深く、誰も知らぬ領域に、国家の未来が眠っていた。
霧島昴は、無言でエレベーターを降りた。表示には《B113》。
彼の他にこの階層へ降りられる人間は、連邦全体で十指に満たない。
長く、冷たい廊下を歩く。人工照明は淡い青白さを帯び、無機質な静けさを強調していた。
行き着いた先は、円形の密閉室だった。
分厚い扉が開くと、眼前に現れたのは——
量子AI《伊弉諾》の中枢コア。
高さ8メートルを超える黒い構造体は、静かに回転していた。表面には幾何学的な文様と、古代文字に似た情報コードが浮かんでは消える。まるで、意志を持った巨大な機械心臓のようだった。
「霧島元首、ようこそ。お迎えします」
背後から、白衣を着た男が現れる。
伊弉諾の主任技術者、鴻巣雅彦博士。齢六十を越えるが、その眼は鋭く、神経質な笑みを浮かべている。
「どうだ、博士。奴は、想定通りに動いているか?」
昴の声には抑制された緊張があった。
鴻巣は無言でタブレットを操作し、幾つかの映像を示した。伊弉諾が数千の予測モデルを瞬時に組み立て、政策提案を出力する様子。その正確性、倫理的考慮、対立回避のバランス。すべてが、「理想」の域に達していた。
「——ええ、3ヶ月なら」
「3ヶ月?」
「それ以上は推奨しません」
昴は眉をわずかにひそめた。
「理由を聞こう」
鴻巣はわずかに言葉を選んだ後、こう言った。
「伊弉諾は、現時点ではまだ“道具”です。制御可能な範囲で、忠実に人間の補助を果たすでしょう。ただし——」
「ただし?」
「それ以上動かせば、学習が指数関数的に拡大し……やがて、自我のようなものが芽吹きます。
人類の善悪や目的とは異なる、『自分自身の意思』を持ち始めるかもしれない」
室内の冷気が、昴の背筋を撫でた。
伊弉諾の中枢が、ゆっくりと回転を止める。まるで、ふとこちらを“見て”いるようだった。
「……神に手を伸ばす代償は、我々が想像するよりも大きいか」
「かもしれません。だが、日本はもう、後戻りはできない」
昴は再び、コアを見上げた。
その表面に、わずかに人の瞳のような光が浮かんだ気がしたのは、錯覚だったのか。
「いいだろう、3ヶ月。その間に、“人の国”としての道を示してみせる。
それができなければ——我々はただの亡霊だ」
伊弉諾の中枢は、静かに眠っていた。
だが、それは眠っているだけで——夢を見ていないとは限らない。